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深い息に乗った声

2009年09月17日 | 読書
 子どもたちを包み込むような、深い息に乗った声を求めましょう
 
 単発的に発声法などを学ぶ機会はあったにしろ、十分にそれが身に付いたとは言えない。また意識はしていてもそれを継続しているとも言い難い。
 ただ関心はいつもあって、書店に出向くと自然にそちらに目が向いているようだ。

 小学館の発行している別冊教育技術の2009年版に『日本語を習得する音読指導』というのがありめくってみたら、内容はよくある詩や古典のアンソロジー的なものだった。
 購入するほどでもないと思ったのだが、巻末の「特別寄稿」に目が惹かれた。

 「日本語の発声に息をつかおう」と題して、能楽師の山村庸子氏が書いている文章である。
 演劇や語りの人たちの要望をうけ「声の道場」なるものを開いている方らしい。冒頭に挙げた言葉はその中にあった。

 日本人の声が弱くなっているというようなことは、少なくない人がいろいろ述べているが、ここでは山村氏は「息が弱くなっている→声が危ない」ことを指摘している。
 その理由はいくつか挙げられているが、日本語の「顎の付け根の動きが少ない」という特徴が大きく影響しているという指摘が興味深かった。

 確かに書かれてあるとおりに、様々な音を発音してみたときに顎の動きが少なく「口をあまり開けない日本語の発音」という点が納得できる。小学校初期、または演劇の基本レッスンで行うような「アエイウエオアオ」のような口形指導とは少し違った視点が感じられた。

 山村氏は小さい時に大きな口を開けて大きな声で歌うことは呼吸のためにとてもいいと言いながらも、こんなふうに考えている。

 私はこれは日本語のための発声練習には向いていないと思うのです。
 
 日本の言葉をはっきりと美しく発音するために、口を大きく開けることが障害になると言っているわけである。

 口を開けずに息をつかう…これはまた新鮮なイメージである。少し意識して考えてみたい。