すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ハンカチーフの時代、遠のく

2009年09月05日 | 雑記帳
 全校集会で「ハンカチ」の話をしようと思った。
 以前何かの本で「ハンカチはなぜ真四角か」というクイズがあったことを思い出し、インフルエンザ予防の手洗いのこともあるからなあと考えた。

 かのマリーアントワネットが王に頼んで、「ハンカチの縦と横の長さを同一にするべし」という命令を出させたというのが史実らしいが、それまでアクセサリー、ファッションとしての役目が強かったということを考えると、実用として根付かせた功績はなかなかではないか。
 ネッカチーフとかスカーフとの違いなどはどうなのだという疑問も浮かぶ。
 それはともかく、モノの役割が劇的に変わるのはやはり政治の力か。新政権にも期待したい(これはまた別か)。

 ちょっと調べていて気になったのは、「ハンカチは別れのしるしなので、贈り物としての場は限定される」ということである。

 確かに、転任などの際に限って使っていたし、やはり「涙をふく」という大切な役目があるではないですか…と当然だと思っていた。
 出典は不確かだが、中国の古い話で特に白いハンカチは悪い意味とうんちくを語っておられる方もいた。
 個人的に一番気にいった解釈は「浄化」である。白いハンカチの持つイメージにぴったりするような気がした。

 しかし、現実には今若い人の中では、そんな慣わしやイメージにとらわれずバレンタインに贈っているというサイトもあったし、そもそも別れの象徴ということ自体聞いたこともない若者もいるらしい。

 ああ嘆かわしい。
 年寄りの繰り言のようだが、それでは別れの涙をなんでぬぐう。
 ああ、そもそも涙なんて流さないそんな関係しか作れないのかもしれないなあと、また嘆く。
 感動話や泣ける歌ブームはまたその裏返しで、自分で酔っていればいいやという風潮なのかもしれない。それもまた寂しい。

 何より悲しいのは「木綿のハンカチーフ」の時代が遠のくことか。