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覚え書き「川上」

2012年04月04日 | 雑記帳
 「川上を考える」

 今年度の姿勢を示そうと考えたとき,一番先にこの言葉が決まった。
 「川上」という言葉に出合ったので,「川連」という地名・校名を生かしてという形が決まったと言ってもいい。

 ポイントは三つある。

・教育の川上を考える

・集団の中の川上を考える

・一人ひとりの子どもの川上をとらえる


 多分に比喩的ではあるが,「教育の目的」「教育する姿勢」「児童理解」ということを示している。

 今,多くの目標,そして文言(美辞麗句も多い)の中に,まるで教育の目的が埋もれているような感覚を覚えるときがある。
 いったい何のためにこのことをするのか…どこまで突きつめればいいか際限はないのだが,時々自問してみること,確かめ合ってみることは忘れられない。
 教育の源流をたどってみる重要性である。

 細く弱い流れに目をつける,その立場をしっかり見ること。
 順調に流れない子どもは必ずいるものである。そこを起点に集団を考えてみることは,大切な視点ではないか。
 すべての流れを見逃さないという意味でも,まず川上からという姿勢が求められる。

 どの学校にいっても,困難な背景を抱えている子は少なくない。順調に見えていても,底を流れる澱みが大きい子もいるのではないか。
 児童理解と一言でいうが,理解とは共感的な部分があってこそ成り立つ。そのためには,今この時点の姿をまるごととらえるとともに,どうしてそう在るのかという視点も必要だ。
 それにはまさしく,その子の川上へ遡ってみるしかない時がある。