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桜と絵本と豆乳と

混沌の中で際立つ人物像

2012年04月21日 | 読書
 『お父やんとオジさん』(伊集院静 講談社文庫 上下巻)

 上下巻あわせて800ページを超す長編である。
 解説の池上冬樹はこう書いている。

 戦争小説、冒険小説、ミステリ、家族小説などあらゆるジャンルの魅力を内包していて、たっぷりとした読み応えをもつ。

 まさしくその通りだと感じた一冊である。
 
 例えば「戦争」ということ。
 朝鮮戦争についてはとおりいっぺんのことしか知識がないが、実際の攻防がどのようであったか、想像を広げることができた。
 この背景を抱えてかの半島の現在があることはもちろん常識であるが、その理解がほんの少し深まったように思う。

 在日の問題があちらこちらに潜んでいた時代は、一見関係が希薄に見えるこの地方にもあったし、その時の人々の思いを想像してみることは、今私たちが直面していることとけして無関係ではない。それは血の存在であり、信義とは何かという問いかけであったりする。

 例のミサイル問題がひと段落した直後に読み始めたわけだが、この時期に文庫化されて手にとったことは何かの縁だろう。
 この小説の主人公は追い詰められながらも、家族という希望の光を見失わずに生きた。実世界の北の国に生きている人たちは、はたして何を光としているのだろう。
 そこまで対照的にとらえるのは見当違いなのかもしれないが、運命ということの大きさを考える。

 「お父やん」と「オジさん」という、題名の二人はくっきりと対照的であった。
 そしてそれを分けたのは、ある意味で人間の意固地さのようなものだったか。

 伊集院ファンにとっては、『海峡』三部作に代表される自伝的な作品(エッセイも含めて)につながるところが見えていて面白い。
 とにかく、めっぽう格好いいことだけはこの著も同じだし、舞台の混沌さが壮絶なだけに、人物が際立って見えてくる。