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多様なことへ向き合うために

2012年06月10日 | 雑記帳
 金曜日の公開研究会の全体会講演講師は、多田孝志氏であった。
 http://www.mejiro.ac.jp/univ/professor/files/tada.html

 「対話」に関する第一人者として知られているそうだが、個人的に名前はどこかで見かけた…という程度の認識しかなかった。

 なかなかユニークな講演であり、楽しく拝聴した。
 ざっくばらんな口調にやや甲高い声が混じることがあり、また途中で参観者にペアによる動作を要求したりして、さすがに大学の授業についていつも真剣に準備していると豪語?するだけのことはある。

 「現代社会の課題」から始まった内容は、かなり急ぎ足で「対話力の育成」までつながる流れで、印象的な話がいくつかもあった。
 次の一言は強烈だし、おそらく一番の問題でもあると感じた。

 「多様なことはいいことだと、本当に先生方が思わなくちゃ駄目だ」
 
 情報化、グローバル化が進み、「多文化共生社会」が目の前に近づいてくるという予想はできる。
 しかしまた同時に、そんなに進まないのでは…、自分はこのままの方がいい…という内なる声もまだ強く残っている。

 現実に、つい数ヶ月前に身の周りで起きた、異国籍の子どものある出来事を思い出せるが、それも特殊なこととして位置づけたい自分がいることは認めざるを得ない。

 今置かれている環境の中で、「多様」なことは本当にたくさんある。それを自分は「いいこと」だと認識できているか。
 正直にいえば、やはりそれは「面倒」であり、解決すべき「問題」として目の前にあると言ってよい。

 ただ、以前よりは自分の心がけとして、その立場について時間をかけて考えてみる、また少し俯瞰して関係性をとらえてみること、など意識していることは確かのようだ。
 必要に迫られての消極的な姿勢であるようには思う。しかし、そういう繰り返しの中で何かを見つけていくしかあるまい。

 そうなると、講演前段の講師の一言を肝に銘ずることは大切だ。

 「完全な理解はできない。一点で突破できるようにしなくてはならない」

 よく聴く、わかるように説明することなどの手法の価値づけが、少し違って見えてくるような気がする。