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隠居の道遠しだが

2012年06月06日 | 読書
 隠居…憧れる言葉だ。
 落語の世界にいる「ご隠居」や水戸黄門をうらやましく思う。
 そんなこともあって?こんな本を読んだ。

 『隠居学』(加藤秀俊 講談社文庫)

 読み終えて(いや,読み始めて少しの時点から)結論がわかる。

 隠居になるには,博学でなければならない。

 それは,クイズ的な雑学ではなく,世の中の様々な分野において幅広く(といってもいくつか選んで)追究した人にだけ,ゆるされる称号のように思えてくる。


 もはや叶わぬ願いと知りつつ,少しでも知識をふやし「プチ隠居」程度は目指したい。そのためにも,へぇぇぇと感じた新知識やら視点などを書きつけておく。

 そもそもマンネリズムというのは「マナー主義」ということである。

 マンネリを打破して,なんて言ったりするが,そもそもそれはある意味マナー違反ということなのだろう。しかしたぶん歴史はそうやって作られてきた。
 マナーを知る頃は,若さをなくすのも世の常か。

 日本に「宗教」はない。しかし「信心」はある。およそ世界には「宗教圏」と「信心圏」があり,日本はその後者に属している。

 ああこれはなるほどである。私たちが祈っているのは特定の誰かではない。まさしく得心である。

 もう一つ,「ハレ」と「ケ」に関する記述が興味深かった。
 「ケガレの構造」と名付けられた章では,「ケ」が「枯れる」ことを「ケガレ」と推論した説から,いろいろと話を進めている。

 そこでふと思ったのは「ケジメ」という言葉。
 手元の語源辞典では囲碁用語から出たとされるが,「ケ」を「締める」ことを「ケジメ」と言ってもよくないか。
 つまり,日常の平凡さに仕切りをいれてみるという解釈…こんなふうに遊ぶのが道楽の世界だ。

 半歩,隠居に近づいたような。