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つらい照明係

2012年07月03日 | 読書
 幻冬舎もこんな感じの本を出すんだなあと思って、手にしてみた。

 『学ぶ理由 学ばせる理由』(井沢 隆  幻冬舎)

 著者は、「こうゆうかん」という全国的な塾の経営者。
 自分の小中高時代のエピソードを織り込みながら、塾教師としての三十五年のキャリアをもとに展開した教育論といっていいだろう。

 「受験産業」と一括りすることもできるのだろうが、様々なメディアに登場する塾の経営者の言葉などを聞いたりすると、その熱意に感心することもある。
 この著者の主張に取り立てた特異性があるとは思わなかった。しかしある意味の「教育熱」は強く感じられたのも確かだ。

 さて、こんな表現があり、考えさせられた。

 昨今の教育現場では、勉強が苦手な子をひとりひとりケアして、ボトムアップ式にだんだんと全体のレベルをあげていくという発想がされることが多いようです。

 必ずしもそうとは言えない気もするが、少なくとも私の周囲ではあてはまる部分がより強いだろうと判断できる。

 そして、この文章はこんなふうに続く。

 しかし「こうゆうかん」の教師はリーダーシップをとります。

 このリーダーシップとは、姿としてこんなふうに書かれてある。

 私たち教師は遅れた子を背負って、なおかつトップを走らなければなりません。

 塾という組織で、具体的にどういう指導がされるのか詳細はわからない。
 「ひとりひとり能力にあわせて相対的に高いレベルを求めます」という表現は、私たち学校に勤める教員も同じ思いだが、きっと寄り添い方に違いが生じてくるのだと思う。

 受け止める子にすれば、伴走者であれ、先導者であれ、きっと深く感じ入るのは多くの声かけをしてくれた人であることには間違いない。

 そうすれば、今さら言うべきことでもないが、そこには目的・目標の明確さという道を照らす光量こそが大きな条件となるだろう。そこに塾との違いを見る。

 できるだけ遠くを照らそうとすると光は届かないし、身近だけ照らしていてもこの先何が待ち受けるのか不安な気持ちに揺さぶられるし、ちょっと照明係はつらくなってきたよう・・・・そんな学校という舞台がある。