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感情はきまって悪いものである

2012年07月26日 | 読書
 以前,野中信行先生がアランの「幸福論」を薦めていらした。雑誌記事でも取り上げられるなどちょっとしたブームらしい。休み中の手初めとして,手頃なダイジェスト版を読んでみた。

 『アランの幸福論』(齋藤慎子訳 ディスカバー)

 「不安と感情について」を皮切りに「自分自身」「人生」「行動」「人とのかかわり」「仕事」「幸せ」の七章,全200項目の名言が並んでいる。

 一読してすううっと入ってくる文章,またそうでないものといろいろあるが,確かに現代に通用する要素は満載されている(編集の意図もそうだろう)。

 ちょうど職場の一学期の慰労会があったので,「051 機嫌のいい考え方をする」を挨拶で紹介した。このような出だしである。

 経験にはふたとおりあって,気が滅入るものと,気持ちが明るくなるものがある。ハンターにも機嫌のいい人と嘆いてばかりの人がいるのと同じである。
 
 一学期のお疲れ様を「ハンター」に擬えるのも一興と思いながら少し話した。

 この著書のキーワードをピックアップしようとしたとき,間違いなく挙げられる一つはこの「上機嫌」だろう。
 その他に,たとえば「体」があり「ほほえむ」があり,「見る」も入るのかな…などと終わり間近まで読み進めたとき,この項目「199 意志をもって幸せになる」の太字になっている冒頭の一文が,ぐんと心に迫ってきた。

 悲観主義は感情からくるもの,楽観主義は意志からくるもの。

 その後に続く「結局のところ,よい感情というものはない。感情は,正確に言うと,きまって悪いものである。」と断定したこの言葉も,新鮮だった。

 この4月,雑誌の引用から「感情労働者としての教師」というキーワードを職員に示した。数年前に書いておいた文章だった。感情を酷使する職業であることは否めない事実だし,子どもを育てるためにどのような感情が必要か,といった文脈で語ったものだ。

 しかし,今この論を知り改めて読み直すと,一番必要とした「タフさ」はやはり「意志」と言い換えてもいいようだ。
 ぴんと張り巡らすのは,やはり意志なのだ。
 まとわりつく感情に身を委ねていいのは,ひとときですよ…そんなふうに笑いながら口にできたら素晴らしい。