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遅ればせの読書メモシリーズ③

2012年07月11日 | 読書
 なかなかわかりにくい表現だなと思いながら,ついつい手を伸ばしてしまう一人に,吉本隆明がある。

 それは遠い昔の学生時代に,詩人として向き合った時期もあった。
 ここ数年は,明らかに糸井重里つながりで姿を感じている。

 『真贋』(吉本隆明  講談社文庫)

 そして今回この本を読んでいて,ああたぶんこういう言い回しに惹かれるんだなと感じる箇所がいくつかあった。

 長い引用だが,二つだけ書き留めておきたい。

 たとえば学校の先生の場合は,いいことを本当にいいこととしてはっきり言わないと子どもたちに通じませんから,いいことをもっともな口調で言うのに慣れています。でも,いいことをいいこととして言うと,みんなが道徳家になってしまいます。これはよい,これは悪い,こうするのはよい,こうするのはよくないぞと断じていくようになり,いつももっともらしい口ぶりになっていくわけです。それはある種の毒です。

 「教える毒」という言葉について論じている箇所である。
 「教える毒」…その意味のありかを自覚できるかどうか,そしてそのうえで教員たる姿勢を考えられるか,ううん,悩ましいところである。

 もう一つはここである。

 自分にとって真に重要なことは何なんだと突きつけられたら,僕ならこう答えるでしょう。その時代時代で,みんなが重要だと思っていることを少し自分のほうに引き寄せてみたときに,自分に足りないものがあって行き得なかったり,行こうと思えば行けるのに気持ちがどうしても乗らなかったりする,その理由を考えることだ,と。

 短絡的に,「思想家」ってもしかしたらこういうこと?と考えてしまいそうである。
 自分もいつもそんな感じで,ぐずぐず,ぐずぐずしていた。
 すっばり割りきれないことも,そんなに悪いことでもないか,という気にしてくれるような文章だ。

 著者が何かの正解を示しているか,と言えば,それはどうも当てはまらない。
 ひとつひとつあきらめずに考える行為こそが,生そのものだった人の独白のようである。