すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「できる教師」シリーズを読む①

2012年07月29日 | 読書
 来月の研修会でお招きする山中先生の著書を手に取ってみた。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/aea4fc0aa168d00df36fade0ab4102db


 『できる教師のすごい習慣』(学陽書房)

 「すごい習慣29 事務はなるべく教室で」の頁,「私の場合」のコーナーの末尾にこの文章があった。

 クラス全員の記録を毎日つけ始めたのも,そんな思いがきっかけでした。

 教師として様々な習慣づけを自分に課すことは,職業人として何を仕事の核ととらえ,時間をかけていくかという意識があるからこそである。
 たったこの一文だが,そこに効率化の意味と方向性を強く感じることができた。

 一つ一つの習慣は,それ単独で「すごい」と称するほどのものではないように思うが,それらがつながりどっしりとした日常が出来上がっているからこそ,「すごい」のだと思う。

 けっこう類似したことを続けてきたつもりでも,中途半端であったなあと自戒しか浮かんでこないなあ。


 『できる教師のどこでも読書術』(さくら社)

 序章にこう書かれてある。

 本を読むなら「やり方」を知ると同時に,その著者の「あり方」を学ばなくてはなりません。

 深く共感できるこの言葉を,そのままこの「読書術」の著書に当てはめればどうなるだろう。

 「できる教師」(この表現にはややセールス的な響きがあって好まないが)になるために,読書は必須である,読書は知識を得るための極めて有効な手段だし,読書習慣をつけ,自分に似合った読書法を選択してより進めようではないか,という筆者の主張は伝わってくる。

 そして,その人の「あり方」は?ともう一歩突っ込めば,少し手垢がついているが「知的生産への道」ということになろうか。
 それも広範囲だし,活用的だし,きっと教師としての山中さんも,目前の事象について幅広く,多面的なとらえをしているはずだ。その「あり方」を確かに学べる本だ。
 特に「読書をより効果的に見せる」という発想は,読書術としては斬新だと感じた。

 個人的に,教師としての読書の取りかかりが,かの名著『齋藤喜博を追って』(向山洋一・昌平社)であったことに同時代を生きた感覚を強くした。