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私も不揃いの総持ちを目指している

2012年11月06日 | 読書
 かつて同職した上司が、こんなニュアンスのことを言った。

 「職人の息子・娘は、いい教師になる」

 教員自身の生まれ育った環境はその資質に大きな影響を及ぼすだろう。その面で、職人の親を見て育つ意味になんとなく納得し、周囲の教員にその論理を当てはめて観察?してみたことを思い出す。

 そんな経験もあって、数はあまり多くないが、職人と称される方々の著書に手を伸ばすことがある。

 『不揃いの木を組む』(小川三夫 文春文庫)

 小川の師匠にあたる著名な宮大工・西岡常一との関わりで以前にも一冊読んだような記憶がある。
 この本は、小川の語りを塩野米松が聞き書きした形がとられている。
 その塩野があとがきに記している。

 不揃いの総持ち、鵤工舎の組織論、教育方法は今も引き継がれている。人の育て方、組織のあり方には普遍の部分があると思う。

 題名からも察せられるように、これは一種の教育論である。そして、自らの信念を語る小川が、比較対象?として出すのが「学校」である。
 ある意味では、学校批判のオンパレードといってもいいかもしれない。そしてまあ、いちいち尤もなことも多い。
 こんな一節がある。

 学校の先生は、二年先か三年先のことを考えればいいけど、俺らは一生食える職人を育てなければならない。一生のことを考えたら、かばい合いだとか助け合いだとかの前に、自分がちゃんと生きていく技を身につけなくてはいかんということがあるんだ。

 職人(その中でも宮大工は特殊だろう)の世界と学校教育の場を、直接比べるのは無理があるだろう。
 しかし現実社会での通用という観点で、かなりシビアだと予想される職人世界からの提言とみれば、無視することはできまい。

 小川は「ちゃんと生きていく技を身につけなくては」と語るが、それに異を唱える教育関係者は一人もいまい。
 そうなると、要はその身につけさせ方の問題である。決定的なのは「時間」と「効率」ということになろうか。
 限られている期間が絶対条件の学校教育としては、効率をめぐった考え方になるのだろう。

 効率優先…この言葉には逆らえない。
 しかし,どういう範囲で語るか、それから、非効率の持つ教育性をどれだけ意識できるか、などその取り込み方が教師の姿勢として決定的だと思うことがある。

 つまり、目の前のことに追われず、一年なら一年のスタンスで効率的に組み立て、信念を持って実践すること。
 もう一つ、効率の壁に閉ざされる子の可能性と限界を見極めながら働きかけができること。

 「だから学校は駄目なんだ」という強い括り方で迫ってくる人たちとも、きちんと対話ができるように心構えを持ちたい。そんなことを考えながら読んだ一冊だった。