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科学のある部分を担う

2012年11月17日 | 読書
 『科学的とはどういう意味か』(森博嗣  幻冬舎新書)

 著者の小説を読んだ記憶はあるが、なかみに関してはまったく印象がない。フィットする部分がなかったのだろうと思う。
 しかし、この新書はなかなか面白かった。

 内容は、「科学を敬遠するな」「敬遠していると大変な目に遭う」「みんなで正しいことを積み上げていこう」ということを、震災や身近な事例を引きながら繰り返し述べているに過ぎないが、説得力がある。
 それは、やはり科学者の視点があるからだろうと思う。
 
 科学者の視点とは何か。
 それは言うまでもなく、この本の題名に関わることである。

 二章のまとめで、著者は述べている。

 科学というのは「方法」である。そして、その方法とは、「他者によって再現できる」ことを条件として、組み上げていくシステムのことだ。

 そのために、「数」と「実験」が重要であると語っている。
 だから、この本には結構多く数字がでてくる。さらに実験を紙上でしているわけではないが、様々なエピソードが紹介されていて読み手を引きつけるし、納得もさせる。

 また,さらっと読んでいこうとしても、手痛い言葉がすぐ目に入ってくることも特徴だ。
 例えば…

 言葉を覚えることで、無意識のうちに「立ち入らない」境界を作ってしまう

 「やる気」や「心意気」よりも、数字の方がずっと信頼できる。数字は人を裏切らないし、数字は調子が悪くなることもない。



 さて、科学を「他者による再現性」をもとにしたとき、某出版社が雑誌に名づけている「教育科学」というのは、実に興味深い。
 そしてその社が、法則化運動に深く関わってきたことも頷ける。かの『現代教育科学』誌は廃刊となったが、まだその冠をつけられている雑誌はある。

 その目指すものはやはり「他者による再現性」が大きいと言っていいのだろうか。
主たる読者である教員にとっては、自分がページをめくり何かしら得ることが、科学かどうかなどふだん考えてみることなどないと思う。
 しかし結局、雑誌等に載るそれらの「実験」(これは誤解されそうだが)の記録を通して、ある意味の「数値化」を提示し、それを文章化した提案、報告を受容し、さらに実験し、結果を得ようとする道筋は,科学だと考えてもいいことだろう。

 科学は、「みんなで幸せを目指す」ものだと著者は強調している。
 困難は多い。けれどやはり私達は「教育科学」のある部分を担っているという自覚は持ちたいものだ。
 別に雑誌宣伝しているわけではないですが…。