すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

切実な未経験問題は…

2018年05月29日 | 読書
 どんな人間でも経験できることは限られている。生まれた時代が違い、国が違い、人種が違い、性別が違い…まっ当然ではあることだ。俯瞰してみれば、経験しようがしまいが何ほどのこともない、などと悟った人や世捨て人のような口も利きたくなるが、現実世界には、正直遠慮したいことはうんとある。まずは…。


2018読了56
 『国家は破綻する』(藤巻健史  幻冬舎)


 今、国家としての心配の種は、半島絡みの戦争に巻き込まれること、それからハイパーインフレか。この本は後者つまり財政に関する警告である。正直9割は理解不能…。ただ、国債をめぐってその金額が膨大で増え続けていることへの批判と、それは日本国内だから心配ないとする論が対立していることは知っていた。

 著者は、日本人が買っているつまりそれは、世界が手を出さないからと指摘し、危険要素を次々と明らかにする。そして自衛のための策をあれこれ促す。しかし、いくら円暴落と言われても「保険」としてドル資産を買うほどの決断もできないし…となると残るは、生活の質転換と極めて個の問題へとすり替える自分。



2018読了57
 『死の準備』(近藤誠、他   洋泉社)


 こちらは避けきれない個別のこと。と思って読むと、これがまた「死」が本当に個人的な問題なのか、迷いが出る。世の中では「終活」という言葉が一般的になっていて、もはや「死」が社会問題化していることは事実だ。この新書は十数年前の出版だが、そうした混乱をある面では先取りしていた。著者陣も多彩だ。

 今、生きている自分が、「死」を納得できるものか。そもそも難しい。しかし数多の論はあれど、そろそろ「死生観」は身につけねばならないお年頃である。その意味で加地伸行が、死生観は「きわめて少数の類型しかない」と記した意味は大きいと感じた。意識しなくとも何かしらの考え方が身についているはずだ。