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過去を自分の問題とする

2018年05月02日 | 雑記帳
 今年の伊丹十三賞が、歴史学者の磯田道史氏に決まった。話題になった映画原作の仕事や、テレビ番組の出演などを通して、歴史への興味関心を拡げていることは確かだろう。著書はまだ読んだことはない。手を出してみようかなと思っていたら、JRの広告雑誌が「大人の肖像」というコーナーで取り上げていた。


 わずかな誌面だけれど面白いことを語っている。「あるときから、自分は『閉じたオタク』ではなく、『開かれたオタク』になろうと思いました」。この情報化社会はそれを十分に可能にしている。漫画がいい例かもしれない。オタクと見られていた方々が一歩踏み出せば、オタクという呼称も自然消滅してしまったりして…。


 「AIの時代って、ひょっとすると昔のご隠居社会のようになるんじゃないか」この発言は「開かれたオタク」ともつながっている。つまり単純な労働作業が機械に置き換えられたときに、生活の中心になっていくことは「楽しみ」や「発想」「こだわり」という、人間でないと出来ない中味への移行が益々強まるはずだ。


 趣味だけでなく、仕事自体も、そんなふうに個の興味関心に即したものになるといい。しかし、生産と消費のある社会を維持していくためには「新しい価値」の創造が必須と言えるだろう。そこで、磯田氏は歴史学者らしく「時間と空間が離れたところに存在するコンテンツを結びつけて」ということを提案している。


 身近な例では、古い町並みが観光の目玉になり、文化財の要素を含んだ商品開発がされ、と数えられることは多い。しかしすぐに経済効果に結び付けようとせず、まず身の周りの歴史点検ではないか。どうしてこうなったか…「過去を自分の問題として考える行為」が歴史だという。個の生を、縦の流れで見ることか。