すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

パクリの師走を歩き回る

2019年12月06日 | 雑記帳
 『ちくま』12月号、穂村弘が「絶叫委員会」という連載に、自作の歌を載せている。

 冬。どちらかといえば現実の地図のほうが美しいということ

 少し解釈に悩む一首である。
 「どちらかといえば」で比較されているものは、「冬」と「現実の地図」か。
 それとも「現実の地図」と「現実でない地図(夢想したもの等)」なのか。
 また「現実の地図」とは比喩なのか、という疑問もわいてくる。

 もし「現実の地図」が、例えば「目の前の風景」を意味する比喩ならば、一昨日から降り続いた雪の中にいる者としては、「美しい」とは思えないなあ。
 と、突然自分に引き寄せてみる。
 そこで、パクリの一首を。

 冬。どちらかといえば現実の雪のほうが重たいということ



 同じ号で、これも連載している詩人最果タヒが、次のような題をつけて、いつものごとく独白している。

 希望的観測2.0

 この「2.0」という書き方、そもそもは「Web2.0」からきているはずで、一時期、ずいぶん拡張した使われ方をしていた。ウィキによると

 新世代のものを表す冗談として、本来規格やバージョンとは無関係であるものの名称に「2.0」を付与する流行を作った。小数点以下1桁まで含めた表記であるが、そのことにも特に意味は無い。

 2.0だけでなく、3.0も4.5なんてのもあった気がする。
 こうした表記上の流行は終わった気もするが、「希望的観測」という、精神上の働きに付けてみると、案外おしゃれな気もする。

 そこで、年末に向けて一つパクリのキャッチコピーを。

 漸進的片付け2.0

 そもそも「漸進」と口にした時点で、刷新できないことはかっている。