すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

脆くなった土台を感じて

2019年12月17日 | 読書
 今年3月に刊行された本だがもうぼろぼろである。何度も読み込んだから…ではない。頻度の多い風呂場読書でなっなんと二度も落水させてしまい、ページ同士くっついてしまった箇所が多く、可哀そうだ。それで二冊目を注文中、いや単に汚れたからではなく、非常に考えさせられる文章が多く読み返したいと思った。


2019読了106
  『街場の平成論』(内田樹編  晶文社)



 編者の内田以外の執筆者は、平田オリザ、ブレイディみかこなど8人。うち5人の単著は持っている。考え方に惹かれる面々が多いのだろう。ただ、平成30年間の振り返りとなると、やはり専門分野や個人生活を主とするので、外国暮らしや生命科学、宗教問題など知識が少ない分野は難しい。ただ「気分」は伝わる。


 乏しい知識でも、日本の「国力」が衰えたことは理解できる。そしてその理由として、現政権の長期支配を挙げたくなる人も多いだろう。私もそうだ。しかし内田は、その判断に与せずこう語る。「安倍政権の繁盛は『結果』であって『原因』ではない」。この指摘は実に鋭い。問われるのは、個と時代との関わりである。


 だから、昨日まで拙文と承知しつつ、平成の自分や学校をある面から振り返ってみた。しかしこの本を読み進むにつれ、この30年間に起こった数々の出来事にどんな向き合いをしてきたのか、考えざるを得ない。経済、外交、重大事件、災害…安全地帯に居たように思えても、実はその土台が確実に脆くなっている


 様々な点において二極化、多極化が進んでいることを意識していても、では自らどう動くか、その手がかりが見えない。そんな現状において、納得し心に刻んでおきたい論考が二つあった。白井聡氏の「ポスト・ヒストリーとしての平成時代」と鷲田清一氏の「小さな肯定」である。いくつかメモを残しておきたい。