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知性の不調を掘り起こす②

2019年12月13日 | 教育ノート
 学校を退職した春に、回顧録を数回書きつけた。85年から勤めた学校は六年も在籍したのでさすがに思い出が多かった。そこには詳述していないがサークルを正式に立ち上げ、極めて限定的な実践にねらいを絞って活動した。最初は体育科の後転指導。「一人残らずできる」をどう具現化するか、技術を追い求めた。


 当時を知る人であれば、それは向山洋一氏の提起した跳び箱指導に影響を受けていることはピンとくるだろう。つまり普通学級における全員達成、そして学力保障という課題に焦点が当てられていた。それは、良くも悪くもまだ牧歌的な学校現場の姿と、教師の指導力格差の問題を浮き彫りにしたとも考えられる。


 そこから改元をまたいで数年間、月例サークルを続けた。提出レポートは増えていたが内容は玉石混交だった。皆、自分に対しての「僅かな努力の証」を求めていた。ただ現場の世代交代が進む中でモチベーションの一つになっていたとはいえるだろう。学校外の場を定期的に持つことで、目や腕は鍛えられていった。


 教育技術の法則化運動が示した実践の受けとめは未消化なまま、若い教員が増えていった。例えば初期の代表的指示「ゴミを10個拾いなさい」を数の限定という原則に留めてしまう短絡的思考が一般的だった。子どもにとってより価値ある教師になりたい願いはあっても、そのベクトルがふらついていたように思う。


 ゆえに、徐々に広がる社会変化に意識的だったかという点では非常に心許ない。10年後に完全実施される学校週5日制へ向けて、平成4年9月に第2土曜休業が実施された意味は大きく、当時は少し騒いだが結局のところ全てが消費に結びつく潮流に飲み込まれた感を持つ。本当の敵を見損なっていたということか。