すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

すぐ傍に居る善なる塊

2021年04月26日 | 読書
 特定の宗教を信仰している人はどうかわからないが、似たような世代の者は幼い時から「お天道様が見ている」と言われ、悪さをたしなめられた経験を持つのではないか。さらに道徳の授業でよく登場した?「もう一人の自分」の存在が、非道に進むことに対する歯止めになってきたと思うのは私だけではないだろう。


『カゲロボ』(木皿 泉  新潮社)


 手練れ脚本家の短編小説集。完全な連作ではないが、登場人物が重なったりする最近よく見られる手法を使って、9編で構成されている。書名になっている「カゲロボ」とは、「人間(時に動物も)そっくりのロボット」で、その人を常に見ている存在とされている。それが、見守りなのか、監視して罰を与えるのか。


 その存在がはっきり明示されるのは半分程度だ。ただ、その存在を想う人間の心の揺らぎが共通していて、物語を作り出す。取り上げられている題材は、学校内のいじめであったり、夫に先立たれ一人暮らしを満喫する老女の日常であったり、家族の中での姉妹間の確執であったり…似た問題はどこにもありそうだ。


 「きず」と題された最終編が面白い。そこに登場する「空豆」の寓話エピソードがいい。空豆にある黒いスジが、旅人によって縫い合わされた跡という結末だが、そこに至る筋はシンプルながら深い。一緒に旅に出た者に裏切られ、それらの陥った不幸を笑い、その挙句に自分は傷つき、旅人に救われる。人生模様だ。


 ロボットという設定は近未来だが、似通った想像も湧き上がる。日本人はモノを作り上げた時、そこに「魂」を込めようとする。それはある意味で「善なる塊」とも言える。ある時、ある場で、そういったモノと自分が正対し、心の中で葛藤した経験を持つ者は少なくないだろう。カゲロボは、周りにいくらでも居る。