すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

我が読書「変」歴

2021年04月28日 | 雑記帳
 図書館では年に一度、協議会委員会議がある。新しい委員も入ったので形式的な話し合いだけでなく、読書体験のようなことを座談会風に語ってもらうことを企画した。言い出しっぺがまず語るのは大切だから、自分の読書体験はどうだったろう…と少しだけ振り返ってみた。思い出して貴重に思えることもあった。


 孫相手に絵本を読んでいて、六十年以上前、その頃の自分に対してそんなふうにしてくれた人はいるはずもないと、どうにもならない事を考える。皆無ということはないかもしれないが、昭和30年代前半の田舎の農家では当然だろう。どこから我が読書体験が始まったのか。明確な記憶とは言い難いがたどってみたい。



 買ってもらって(いや、もらったのかもしれない)、しっかり覚えているのは『源為朝』だ。保育園の頃か。武将の中でもどうしてそんなマイナー(笑)な人物だったのか。たしか弓の名手であった。その意味では男児が好む定番の一種から始まった。とにかくそんな所が入口だ。小学校に入りどんどんと本を手にするように…。


…とはならなかった。中学年になり俄然と手にし始めたのだが、それは漫画。ブームが始まっていた。田舎の町にも貸本屋ができ毎日そこに入り浸っていた。自分で描き始め、漫画家を少しだけ夢見た。その興味は小学校卒業する頃はなんとなく失せ、中学ではごく普通に部活動、受験etc、特に本好きとは言えなかった。


 しかし高校生になってから、人並みに青春の悩み(笑)を抱えて読み込んだのが加藤諦三、いわゆる人生論系である。そこを脱して筒井康隆安部公房など読みだすようになったが、時まさにフォークソングブーム。ギターを抱えてしまい活字に縁遠くなったか。いや、格好つけて現代詩など読み出した。ゼミにも入った。


 小説はあまり読まなかったが、二十歳の頃、何気なく手にした遠藤周作をゴロンと寝ながら読んでいたら急に胸が押さえつけられるように苦しくなった。主人公の心情が吐露される場面で、ああこれは自分の事だと醜さを見透かされた。この体験は初めてだった。まだ若く、物語に没頭できる心身があったからか。その後は…

 つづく