すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

悪いことの「善」を満たす

2021年04月06日 | 絵本
『わるいことがしたい!』(沢木耕太郎・作 ミスミヨシコ・絵  講談社)



 本屋で見つけたわけではなく、教育系のブログで、担任している子どもたちへ読み聞かせをしたことが書かれていて、作者が沢木耕太郎ということで興味を持った。

 「いたずら好きの男の子が登場!」と表紙カバー裏にあるように、「わるいことがしたい!」といって、散らかしたり暴れたりする展開から片づけがはじまり…という内容。
 読み聞かせをするなら、保育園から低学年あたりなのかなあと漠然と考える。


 それにしても、この「わるいことがしたい」という欲望はやはり生まれついてのものだろうか。
 平日、自宅で預かっている愛孫一歳九か月の男児も、「盛り」である。
 とにかく、いろいろな物に触りたがる、なめたがる、投げたがる、入れたがる、開けたがる、叩きたがる…といくら温厚な(笑)祖父母であっても、声を荒げないと歯止めが利かない場合もある。

 もちろんそれが「わるいこと」なのかは、まったく判断できないことである。
 ただ言えるのは、大人にとっては「都合のわるいこと」という状況が生まれるだけである。


 最近読んだ雑誌の対談で、「善」と「悪」のことが取り沙汰されていて、善とはいくつかの種類があり、道徳的によいことだけではないという話が出ていた。
 愛孫のしている行為は、彼にとっては善なんだろうな(子どもは悪戯をするときに、最も脳が活性化するという説があった)…少なくとも悪ではない、と大らかな心を思い出す。


 その意味では、絵本の中で、どこまでも「わるいことがしたい」心を抑えられない男の子は、善で満ちている。
 そう、それはただ「快楽的善」であり、それだけで人は生きていけないと徐々に知り、「有用的善」に目覚め、その過程で「道徳的善」を獲得していくのだろう。

 その段階での「善」を存分に満たしてやろう。