すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

スマホでは脳の強みを生かせない

2021年04月21日 | 教育ノート
 先月読んだ『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン 新潮新書)は印象深く、二つメモを残した。先日珍しく買ったビジネス誌の表紙には「スマホ利用者9割は『使い方が間違い』『頭が悪くなる』」と大きな見出しがあった。それは最近の脳科学分野で著書を連発している中野信子氏が書いた切れ味鋭い論考だった。

 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/6f100d724738646178d1a6c21cc5e088

https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/70e23e9b24f60f1e26d897d2e37fce00

 「スマホ脳が奪う脳の強み」という箇所は特に興味深い。「脳の強み」を「遺伝子と認知を組み合わせて重層的に戦略を立てられる」とする。「外部記憶装置」の役割をもつスマホが与える「認知の仕方」は、はたしてその強みを後押しするか。現況では9割が無理であり、スマホによる「最適化」によって毒されていく。


 つまり、PCでも同様だが自分の過去の検索、表示履歴によって、興味のある事項へ誘導されるのが常だ。それは結果的に対立する意見、直接関わりのない重要な言説などを避けていることになり、自分の「知的空間」を高度にするには、よほどの意識化が必要になってくる。これはSNSによるつながりも同様と言える。


 個人にとって都合のいいように「最適化」されるスマホによって妨げられることは何か。多様な生き方、考え方を直接体験する場や偶然の出会いがもたらす価値、そういったことが予想できる。自分だけの「認知の殻に閉じこもる」危険性は限りなく高い。だから率直に使い方をもっと俯瞰し、是正する必要がある。


 重視する学び方は「覚える」から「考える」へと強調されてきた。それは確かに方向として正しい。しかし知識や情報を得ることなしに、認知を変えることはできない。スマホなどからの知識で自分の世界は拡がったのか、逆に狭まったのか。「考えるための時間とエネルギー」は大丈夫なのか、きちんと見直さねば…。