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あれは遠吠えだったか

2021年04月20日 | 読書
 吉田篤弘作品はどうにも読みにくいものもあるが、今回の話のようにすうーっとその世界に引き込まれてしまう時は、まさに愉悦である。目次の前にあるページに「××」の文字?で組み立てられる一節があり、イントロダクションの役目を果たす。「バッテン」という語を「正と負の共存」と捉えることは新鮮に感じる。


『遠くの街に犬の吠える』(吉田篤弘  ちくま文庫)


 粗筋は紹介しづらい。小説家である「私」こと吉田君、水色の左目をして音を集める仕事をする「冴島君」、編集者の「茜さん」、茜さんの友人で代書屋をしている「夏子さん」、四人が共通して関わり、師でもある「白井先生」は辞典編纂者。しかし辞典に載らない「バッテン語」を収集する研究者だ。世界観が滲む


 「天狗の詫び状」と見出しのついた最終章は、物語の決着を知らせる白井先生の手紙である。「言葉に置き換える」という行為の意味を強く思い知らされる文章になっている。「言葉にならない」という小田和正の名曲、あれにしたって聴く者の思いの深度によって、感情のあふれ方は明らかに違うことなど今さらに想う。


 さて、小説の題名はいわば「犬の遠吠え」。この語によって連想した全く個人的な思い出を少し記す。時は昭和53年初夏。大学を卒業し臨時講師として山間部の小学校へ務めた。そこで7月に公開研究会があり、体育の授業が割当たった。小学校2年生相手に、平均台を使った運動遊びで何気なく口をついて出たのは…。


 「犬のように渡って最後に吠えてみたらどうかな、遠吠えも面白いかもしれない」「先生、遠吠えってなあに?」「えっ…、じゃあやってみるか」と、22歳の男は臆面もなくウオォォォォーン…と、体育館に響くその声に参観していた30人を超す先輩教師たちの、奇異な生き物を見るような目が集中したことを忘れない。