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瞳に二、三の石を探す

2021年04月01日 | 読書
 新年度が始まった。継続して図書館勤務となり、また様々な活動に携われることを幸せだなあとつくづく思う。自分の興味の大きな部分を支えている内容でもあるし、それ以上に広く深い世界でもある。今の恵まれた立場を生かしながら、どんな展開を作っていけばいいのか。この文庫を読みながら少し考えてみた。


『ライフワークの思想』(外山滋比古 ちくま文庫)


 4年ほど前に読んだメモを見直した。当時の教科書記載に関する話題とつなげた「島国考・鎖国」のことに目がいっていた。その時期は「隠居志願」的な意識があったのだが、それを批判的にとらえている冒頭の章「フィナーレの思想」を、あえてあまり見ないようにしていたのか。今回は、その部分が沁み入ってくる。


 人生の折り返し地点は既に過ぎ、ゴールを目指すときに、よきフィナーレが迎えられることほど幸せなことはない。その形は百人百様ではあろうが、個に埋没したような姿だとすれば、ちょっと悲しいという気がする。その意味で著者は「身を退く」という考え方を批判し、レースをあきらめない精神の高揚を説く。


 「隠居、隠遁の思想というのはフィナーレというものの充実感をいちじるしく削ぐ」さらに重ね「どこか人生を達観しているようで、“いさぎよさ”といったようなもので抑えられているのではないか」と語る。達観も勝負の美学的なものも無縁に過ごしていながら、都合よく自分に適応させていることを見透かされた。


 「ライフワーク」と称せるほどの中身がないのは十分承知している。ただ、身の周りにも何人か居る(またかつて居た)積極的な方々を見るにつけ、かく在りたい心を持続させて、少しでも社会に貢献できればいい。著者は「画竜点睛」の言葉を引いて、フィナーレに向かう心構えを、次のように語った。励まされる。

「われわれの人生においても、最後にそのわずかな二、三の石を置くと、今まで死んでいたと思われていた石ががぜん生きて、というすばらしい成果を挙げるかもしれない。」