すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

続・我が読書「変」歴

2021年04月29日 | 雑記帳
 入ったゼミは「詩と音楽」。下手な詩も書いた。卒論も中原中也だ。著作が少ないこと選んだ理由だったように記憶しているが、研究本は人並みに揃えて熟読し、評価はいただいた。しかし正直なところ、量的にも質的にも充実した読書生活とは言えない。国語人を名のる(笑)わりに古典コンプレックスもある。


 そんな自分も教職に就き、目の前の現実に対するため急激に本を取りはじめるようになるのだが、今思うと大学時代にその芽生えはあった。だから当初は、遠山啓、そして雑誌『ひと』に関わる書籍を多く購読していた。講師生活1年を経て、正式任用されたその年に出会ったのが『齋藤喜博を追って』(向山洋一)だった。


 数年後「教育技術の法則化運動」が立ち上がる。そこからは、いわば教育書マイブームとも呼ぶべき十数年が始まる。師と仰ぐ野口芳宏先生を知り、その実践に傾倒するなかで、文字通りむさぼるように読み進めた。社会と価値観の変化が顕著になり、それに沿って読書傾向が変わり出すのは管理職になってからだ。



 教頭になった1999年に、年度末紀要に「99年、99冊を読む」という短文を載せた。年間100冊を目指そうと決めたのだった。しかし当初は教育書が7~8割だと思う。少しずつビジネス書、新書、文庫が増えていき、退職間際では教育書は3割程度ではなかったか。特定の著者や作家に偏った気もしないではない。


 教育が入り口だったので、斎藤孝内田樹などかなり揃っている。心理や発想法的なものにも興味があり、茂木健一郎、糸井重里、小山薫堂等々非常に多い。小説家ではずっと重松清を愛読していたが、吉田修一を知り、井坂幸太郎、湊かなえなどの人気作家にもはまって、ここ数年は森絵都、吉田篤弘もかなり多い。


 吉田修一の『悪人』や熊谷達也の『氷結の森』を読んだときに、次のページが待ち遠しい感覚が湧いたことを覚えている、エンタメ小説が肌に合ってきたのだろうか。それまで読書は、「何かを得る」ためという姿勢が強かったが、読書を楽しむという体験が、50代になりようやく実感できたのだった。間に合ったか。