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あの時代の7回裏で…

2021年04月08日 | 雑記帳
 雑誌に載ったあるエッセイを紹介するリードのような文章に、次のような比喩が使われていて、思わず唸った。

「昭和の7回裏あたり」

 これは上手い。
 昭和の全盛スポーツとしての野球7回裏という響き、そして思わず昭和何年頃かと考えさせ、そのあたりに自分は何をしていただろうとまで、想い巡らすことになった。



 昭和を粗く63年間と考えると「7回」は43年から49年まで、「裏」といえば46.47年から始まる勘定か。
 自分が高校生そして大学へ進む時期と重なる。
 エッセイの著者は私よりほんの少し年下ではあったが、いわば高度成長期の後半、まだ国や地方も元気があった時代だ。

 野球というゲームでいえば、勝負がある程度見えてくる回数とも言えるだろう。
 ラッキーセブンという言い方もあるが、魔の7回という呼び方も聞いたことがある。


 身近な話題から想像するに(手元にある町広報誌などを見て)、地方では昭和40代からインフラ整備が進み、交通網などもずいぶん発達した。
 そして「ハコモノ」が大量に作り出される典型的な時代の始まりだった。
 それは今から考えるとかなり問題を孕んでいたが、とにかく元気な活力ある雰囲気はあったと思う。


 都会はまた一歩どころか十歩も百歩も進んでいたはずで、近づくバブルの気配があったのかどうか定かでないが、強い憧れの対象だった。
 破天荒なことも含めて多様な文化が花開き、その後の姿を作りあげる要素が生まれていた時期であるのは確かだ。

 経済で言えば、7回裏の勢いのままに突っ走って9回裏に派手にバブルという駄目押し点が入って昭和がゲームセットとなったということか。
 しかし、次の平成という「試合」がどうだったかを振り返れば、まさしくどこかで舵取りを間違えたという印象は拭いきれない。


 それはひょっとしたら「昭和の7回裏あたり」に発端があるのでは…。

 エッセイの中身は実はまったくそんなことに関係ない、遊びや仕事の話なのだが、ふと考えてしまった。
 「8回」に大学生活を自由に過ごし教職に就いた自分は、目まぐるしい展開で変わりゆく生活に身を任せていたことを認めざるを得ない。


 きっと、その頃に何かを使いすぎて消耗してしまった、価値を知らずに捨て去ってしまったことが多くあり、次なる平成では攻めも守りも薄っぺらになりゲームを終えたのではないか。

 と、どこまでも比喩に頼りながら、令和の1回裏あたり(たぶん)で物思う。