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「まっ、いっか」と一途に

2022年03月30日 | 読書
 地元の新聞が地域社会にある「不寛容さ」について特集記事にしていた。ちらっと見たが、それは全国共通の傾向だろう。この文庫の書名は、いわば「寛容」と呼んでもいい考え方だ。著者自身の容姿のことから始まるこの連載エッセイ集、結びの文章では聖徳太子の「以和為貴」に、「まいっか」とルビを振っている。


『ま、いっか。』(浅田次郎  集英社文庫)


 「和を以て貴しと為す」…言うまでもなく、十七条の憲法第一条にある有名な一節。これを「ま、いっか」と同等?とみなすセンスはさすがの稀代の小説家である。つまりは、生きていく上で必要なのは他人との和、そして自分の心の中の和、折り合いである。筆者は「早い話が『ある程度のいいかげんさ』」と記す。


 収められているエッセイの大半は「MAQIA」というファッション関係の雑誌連載である。筆者は長くアパレル業界に勤めた経験を持ち、今もって関心が高いと書く。だから「見端」にこだわった文章が目立つ。ただ内容は多岐に渡っていて、独特な出自や職歴を持つ著者から見た文化全般が語られている印象だ。


 第三章「ことばについて」はわずか六篇ながら、自分の興味にフィットした。著者は今でも原稿用紙にペン書きしていると言い、その視線から時勢を見て批判する。結局、自分の書く字がいっこうに上手にならないのは「横書き」のせいかと都合よく解釈できた(笑)。日本語は「縦に淀みなく流れてこそ美しく整う


 死語と言えそうな「一途」。書名とは裏腹だが、そう題した文章が心に残る。40歳を過ぎて小説家となり、脚光を浴びるまで時がかかったことを綴り、選択肢の多い今の時代の「不幸」を語る。「才能の有無にはさほど関係なく、一途な情熱は石ころを宝石に変える場合もある」…多すぎる機会が見誤らせる事もある。