すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

仕合わせはつくりごと

2022年12月12日 | 読書
 著者が小説家で、ずいぶん長生きをしたことぐらいは知っていたが、作品は読んだことがない。古本屋の文庫コーナーで何気なくカゴに入れてしまったのは「幸福論」的な書名が引っ掛かったのだと思う。「色が黒い」と家族に言われ続けた幼少期、そして化粧への目覚め、作家たちとの交流…なかなか変化に富んでいた。


『幸福を知る才能』(宇野千代  集英社文庫)




 しかし、この本が貴重だったのは次の一節を見つけたことに尽きる。小説やエッセイでは、そんなに頻繁にはめぐり逢えない、まるで詩のような響きを持つフレーズがあった。「神さまはいるか」と題された短い文章の中で、人に愛される善良な人であっても、不幸が続いたりして嘆くことがあるけれど…といった話だ。

すぐ身近なところに、
気ぜわしく、神さまを探したりしてはいけない。
もし、一かけらでも仕合わせになりたかったら、
今日は日が照って気持ちが好いなァ、とか、
今日はあの人がハガキをくれてうれしいなァ、とか、
仕合わせを自分で作って、自分で探すのである。
それはただの作りごとでも好い。
神さまは雲の中にいるのだから。



 なんだか、拝みたくなるような文章である。四度も離婚したという著者は、その別れに対しても非常にストレートな受けとめ方をし、淡々と足を前に進めている印象が残った。達観というのかもしれないが、何より「心」の働きを信じ、物事に強く対している。人の見方にも確固とした信念がある。次の文章も唸った。

人が人に対したとき、多少とも、その相手に対して抱く願望の通りに、まず、先立って、言葉で表現する


 「あなたは嘘つき」と題されたその文章は、「よく嘘をつく人に『あなたは噓つきねえ』とは、決して言わないようにしよう」と始まる。いわば現状認識をそのままに口にするのではなく、反対の言葉かけによって自分の願いを伝え、両極端の「段階」を縮めていくという考えである。これも仕合わせづくりではないか。