経済の本に何度か挑戦している。難解なものは手を出さないが、それでも断片的にしか理解できない。今回も書名に添えられている「美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい」に惹かれて手にしたが…。比喩や逸話を理解するだけの基礎知識を持っていないことが露呈した(笑)。それでも引き寄せた話はある。
『父が娘に語る経済の話』
(ヤニス・バルファキス ダイヤモンド社)
「なぜ。こんなに『格差』があるのか」という問いから始まる。この答えは、いわば「経済」があるからだ。経済とは本来人を幸せにするために活動なのだろうが、仕組みとして困難なことが読み進むにつれて沁みてくる。凡人が学ぶべきは、その流れを作っていく本質的な観点を見定めて、活かすことではないか。
まず、経済の基本になる要素は「余剰」ということ。それは歴史的に土地を耕すことから始まった。今頃そうかと思ったのは「文字----それは余剰を記録するためのものだった」という件。農耕社会の中で共有倉庫に預けた穀物の量を記録したのが始まりであり、農耕の発達しなかった社会では文字が生まれなかった。
その発展と拡大が格差へとつながっていく。物々交換から市場が出来たのはいいが、「市場のある社会」から「市場社会」への飛躍が経済を強固にし、同時に複雑な連鎖をもたらす。どこまでも「交換価値」が「経験価値」を凌駕していく社会。人民からの搾取も自然環境破壊も、全ては交換価値の優先から生じてくる。
「狩人のジレンマ~全員で鹿を狙うか、ひとりでうさぎを狙うか」に合点する。協力して鹿を仕留めると全員が信じることが鹿狩りの成功につながる。だが、一人が不安を持てば失敗の恐れが生じる。それは現在における消費、生産そして雇用に通じていると言う。未来をどう予想するか、楽観と団結の力が基本なのだ。
しかし、それは…
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