すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

曲線を描いて伸びる

2012年04月12日 | 読書
 私は,できたりできなかったりしながら波のように曲線を描いて伸びていく子どもこそが,ほんとうに魅力のある人間に育っていくのだと思っています。子どもを信じてはたらきかけつづけ,「だいじょうぶ!」と明るい気持ちで子どもの成長を待ちましょう。
 「5つの学習習慣 ~驚くほど子どもが勉強しはじめる」(横藤雅人 合同出版)

 すうっと伸びた直線の美しさを持つ人はごく稀にいるものだが,やはり魅力ある人間の多くは,どこか高低,凹凸,強弱といった要素を抱えているように感じる。

 子どもの成長に寄り添うためには,そうした軌跡に付き合っていけるタフさと,その「波」の方向を見定める俯瞰力が求められるのだと思う。

顔が馴染んでくる気配

2012年04月11日 | 雑記帳
 異動してしばらくの間,子どもたちの顔がまだしっくりと入ってこない時期がある。
 顔が馴染まないとでも言ったらいいだろうか。
 まだ前任校の子どもたちの顔がどんと残っていて,なかなか入りきらないとでも言えばいいか。

 昨日は,午前中の体位測定の時間に合わせて,欠席一人を除く全員の顔写真を撮った。
 例年目標とともに掲示しているようで,やらせてほしいとお願いした。
 撮り終えて,少し入ってきた気はするが,まだまだ序の口である。

 ランチルームでは周囲に座っている子たちの顔は,もう既に馴染んできたようだ。しかし範囲が狭い。

 昼休みに「失礼します」という訪問者(子ども)が来る。
 最初は5年生の二人組。何か用事があるわけではないが,前任者もそうした来室を認めていたらしいので,ここは少し様子を見るつもりで接してみる。

 暇そうなので?手元にある国語辞典二つを預けて,「言葉を言うから二人で競争してみて」と誘いかける。
ノッてやっている。

 今度は三年生の二人組がやってくる。
 「クイズを出して」というが,どういうものかさっぱり用を得ない。
 結局なぞなぞのような形の問答をする。

 「九九のなぞなぞをするよ。18歳の人が好きな食べ物は?」

 このあたりだと,三年生は苦労するらしい。

 「九九で18になるのは…」と出させてみて,それから気づくようだ。
 そんなことをしていると,6年女子集団が顔写真を撮らせてほしいとやってくる。同学年の子のための手助けらしい。

 その中で,先のなぞなぞを振ってみると…(3秒ほどの間があった)…
 「にく!」

 「さすが6年生。エライねえ。6年生になればこんなのも簡単にわかるんだねえ」
 と3年生の方を見ながらにっこり。

 あっ,だんだんと顔が馴染んできていると思う。

 それにしても,その範囲が女子ばかりなのはどうして。
 まあ,男は元気に遊べ。

求めている幸せを知る

2012年04月09日 | 読書
 (初心を思い出して…キニナルキ)

 どんな人間も幸せを追求します。小説を読むとき,登場人物一人ひとりの求めている幸せがわかったならば,その小説はほとんど理解できたといえるでしょう。
 役づくりも同じです。役が与えられたら,まず役の人物が何を自分の幸せとしているか探してください。それがわかれば,役づくりはほとんどできたといえるでしょう。

 
『朗読のススメ』(永井一郎  新潮文庫)

 読みとるべきは,人の幸せである。それは小説や演劇や映画に限らず,もしかしたら私たちの日常そのものにもあてはまるのかもしれない。
 求めている幸せの奥の奥まで知ろうと努めることが,その人を理解するということ。その人自身がはっきり意識していないことだってあるだろう。

また雪か,まだ雪か

2012年04月08日 | 雑記帳
 四月の雪は珍しいことではないが,今年はやはり少し違うような気がする。
 
 三日夜半から四日にかけての暴風雪の印象はとても強い。しかしそれだけでなく,朝起きると毎日のように雪が積もっているのをみると,どうにも身体が温まらない。

 とはいえ,新任地の一週間を終え,少しほっとしている。

 入学式のあった金曜日の朝から,4年ぶりに校門に立つことを始めた。かつての勤務校で「定点観測」と題した一文をPTA文集に載せたことがあった。
 その場所でどれだけのことを「観測」できるものか,楽しみである。

 入学式,記念撮影,そして中学校入学式への出席等々過ごして,夕方からは職員歓迎会が持たれた。温かく迎え入れられていただき,いいスタートをきることができたと思っている。

 アルコールが入り,昨年度のことなど様々に教えてくれる方もいる。貴重な情報でもあるし,それに応答していくことによって,自分の考えが固まってくることも面白いなあと思った。

 私たちの仕事や職場を支えていくのは,やはり「信用」「信頼」なのだと思う。
 その精神が大きく横たわっていれば,たとえ少しぐらい忙しくとも頑張って毎日の仕事に励めるし,逆に空虚なものであれば,形式的なことに陥ってしまう。
 表面上は同じようなことをしていても,そこには大きな差が出てくるのではないか。

 それは,授業しかり,話し合いしかり,報告しかり,である。
 改めて心したいことだ。

 4月8日。
 昨年の今日は,3/11と匹敵するほど印象深い日だった。
 自分の力量が試されているような気もした。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/d2b7b56932b4cacb1ac56c6a70b9ccc0

 お気に入りの麦酒を飲んでネジを締めたい。ああ,緩んでしまうか。

覚え書きくずれ「川口」

2012年04月06日 | 雑記帳
 「川口を見据える」

 川上を考え,流れをつくり,そして川口へ向かう。
 ここにも三つのポイントを提示した。

・全体像とゴールポイントを持つ
   
・前向きな将来を意識づける

・つながる力を明確にする


 特に目新しいことではない。私たちの営みのゴールの姿をイメージすることの大切を語っているつもりだ。
 それが一時間の授業であれ,単元全体であれ,また学年という区切り,そして小学校という枠となっても,その時点でどういう力を身につけさせたいか,明確にして指導に臨みたいものだ。

 あえて,一つ取り上げれば「前向きな将来」ということがある。
 子どもたちの「川口」の先にあるより大きな河や社会という海の多くは,そんなに明るいものではない。
様々な問題,障害があることは言うまでもない。
 またそれはいつの時代もそうだったかもしれない。

 しかし,だからといってそこに流れ込む存在が弱く力のないもの,また烈しいだけで他と関われないものであってはいけないのだ。
 清濁併せ持つ悠々とした流れの中で,自分が目指す大海へ,ある時は強く,ある時はのんびりと進んでいける姿を想像する。
 そのためには心の向きこそ肝心であり,それを支えていく学校の大人の心の向きもそうあらねばならない。
 
 なんか,観念的になってきたなあ。具体性のカケラもなくなってきた。

 さて,始業式の話で,職員室廊下に掲示されてある額に納められた「敬愛」「健康」「勤勉」について,ほんの少しだけ触れた。
 そしたら,さっそく三年生数人が見に来てくれた。

 特に「敬愛」が難しいらしく,「なんて言うんだっけ」としきり訊いてくる。
 傍にいた子が「レンアイだっけか」
 すぐに横の子が「ちがうよ,でもレンアイって,恋と愛って書くよ」
 「ええっ,恋!」
 「私の名前に,愛という字があるよ」

 新年度,子どもたちの登校初日。
 いいなあ。きっと前向きに将来を考えている。

覚え書き「流れ」

2012年04月05日 | 雑記帳
 「流れをつくる」

 次の三つをポイントとする。

・水路を設ける          

・流れをコントロールする

・澱みに目を向け,手入れをする


 三つの「川上」から考えた,水路をどうつくっていくか。
 学級経営,授業づくり…それらの指導計画というには容易いが,子どもたちにとってその路が楽しく,活気あるものになるために,変化をつけるということが大事かもしれない。
 ただ,基本はスムーズな流れを目指すことになろう。
 ここはいわゆる「縦糸」の部分と言っていいかもしれない。

 しかし,その水路の変化における流れの緩急,遅速が極端に広がったりすることで,大きな乱れが生ずることはさけなければならない。
 また一部に澱みが出来て,沈滞傾向になったり,はじき出される要素が出ないように気を配ることも大事だ。
 そう考えると「横糸」を強化する部分か。

 教師の腕の見せ所は,この「流れをつくる」所にあると言ってよい。
 多くの先行実践に学ぶべき,学んで有効な箇所だと考えられる。
 しかし,あっちのよい所,こちらのこの部分と「つまみ食い」的な感覚で取り入れようとすると,ギクシャクしてしまうことも頭に入れるべきだ。

 誰かに,何かに傾倒したら,一定期間は徹底してみること。
 真似をするならきちんと真似をする,この心構えを持たない学級づくりや授業実践はどこか危うい…これは今までの経験則である。

 自分を出したい気分に左右され,「出したい自分」など実は本当に小さい存在であることに気づくまで結構時間のかかった私の,苦い結論でもある。

 なんだか覚え書きから繰り言になっていくようだ。

覚え書き「川上」

2012年04月04日 | 雑記帳
 「川上を考える」

 今年度の姿勢を示そうと考えたとき,一番先にこの言葉が決まった。
 「川上」という言葉に出合ったので,「川連」という地名・校名を生かしてという形が決まったと言ってもいい。

 ポイントは三つある。

・教育の川上を考える

・集団の中の川上を考える

・一人ひとりの子どもの川上をとらえる


 多分に比喩的ではあるが,「教育の目的」「教育する姿勢」「児童理解」ということを示している。

 今,多くの目標,そして文言(美辞麗句も多い)の中に,まるで教育の目的が埋もれているような感覚を覚えるときがある。
 いったい何のためにこのことをするのか…どこまで突きつめればいいか際限はないのだが,時々自問してみること,確かめ合ってみることは忘れられない。
 教育の源流をたどってみる重要性である。

 細く弱い流れに目をつける,その立場をしっかり見ること。
 順調に流れない子どもは必ずいるものである。そこを起点に集団を考えてみることは,大切な視点ではないか。
 すべての流れを見逃さないという意味でも,まず川上からという姿勢が求められる。

 どの学校にいっても,困難な背景を抱えている子は少なくない。順調に見えていても,底を流れる澱みが大きい子もいるのではないか。
 児童理解と一言でいうが,理解とは共感的な部分があってこそ成り立つ。そのためには,今この時点の姿をまるごととらえるとともに,どうしてそう在るのかという視点も必要だ。
 それにはまさしく,その子の川上へ遡ってみるしかない時がある。


キーワードを見つめ,示して

2012年04月03日 | 教育ノート
 新しく赴任した学校に掲げられていた三つの大きな額。
 地域の方が書かれた大書がある。

 「敬愛」 「健康」 「勤勉」

 昭和13年に定められた,いわば校訓のようなものである。
 また,昨年度の経営案を開いてみると,次のような三つの畳語が教育目標とされていた。

 にこにこ  きびきび  どんどん

 これは昭和60年に三つの校訓を児童向けに提示したものだという。
 三十年近い伝統を持つ言葉に容易に手をつけることはできない。「徳育・体育・知育」を表すフレーズとしても十分だろう。

 ただ,その下に書かれてあった「心ゆたかに…」という文言は,その繰り返しにも感じるし,一般的のように思えたので,次の言葉に変更して提案した。

 共に学び,共につくる力を伸ばす

 子どもの成長を保障する学校の役割を改めて見直すと,「共に」という言葉は外せないと考えた。
 「学ぶ」「つくる(多義的な要素が強い)」という二つを並べることも大切だ。

 経営の姿勢として,次のようなキーワードを示す。
 校名にある「川連」の文字から浮かんだイメージを使った。

 川上を考え

 流れをつくり

 川口を見据える


 多分に比喩的になるが,教育の仕事に欠かせない要素が盛り込むことができる。
 それぞれに三つほどの観点を持たせた。
 まだ少しこなれていない,深められていない気もするので,今日以降いろいろと書きながら,具体的な姿にしたいと思う。

 そして,最後に「蛇足」として2008年に記した「感情労働者」のことを少し話した。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/895f968e709d0d175d9dc2695dc1726b

 こうしてスタートをきる。今年も頑張ろうと思う。