「人生は死ぬ時までの暇潰し」という山本夏彦さんの言葉や「人間から気晴らしを除いたら不安と倦怠のみである」というパスカルの言葉について何度か書きましたが、最近、あらためてこのことを考えなおしております。
「暇潰し」や「気晴らし」という言葉に含まれる多少、ネガティブで厭世的な雰囲気には好き嫌いがあると思いますけど、人間のやることはその程度のことだと思っている方が、私の精神衛生にはいいと思っております。諸行無常を実感する年になり、子供もほぼ手を離れ、仕事からも半分引退、没頭するほどの趣味もなく、大して親しい友人も親類もいなくなっていく、という状況に入りつつありますから、今後、どう日々をすごすかは具体的に考えるだけでも考えておいたほうがいいのではないかな、と感じ始めました。「暇が潰れてよかった」、「倦怠や不安を感じることがなくてよかった」と思えるようにするにはどうすればよいのか、具体的にどんな暇つぶしをするのかということです。
「仕事」というのは、それが苦痛でなければ最高の暇つぶし、気晴しだと思います。この数十年、暇潰しをしながら、メシが食えて家族を養っていけたことは、私にとっては非常なる幸運であったと感謝の念に耐えません。世の中には大勢の人が食っていかねばならぬが故にやりたくない仕事をしている人や、働きたくても働けない境遇にいる人、働いても食っていけないような人が少なくないことを思うと、これまで自分が受けてきた幸運に対して今後は何らかのお返し的なことをしながら暇が潰せたら素晴らしいなどと考え始めました。
「暇潰し」には、自民党議員と統一教会との関係に濃淡があるように、その質にはグラデーションがあると思います。つまり、最上の暇潰し、中ぐらいの暇潰し、悪い暇潰し、最悪の暇潰しといった具合。私が思う最上の暇潰しは、人が喜んでくれて自分も満足する暇潰し。そして、中は自分だけが幸せになる暇潰し、悪い暇潰しは自分は幸せになるが自分と関わる他の人々が不幸になる暇潰し、それから、他人は幸せになるが自分が不幸になる暇潰し、最悪なのは他人を不幸にした上に自分も不幸になる暇潰し。多分、この暇潰しのグレード分類には多くの人が賛同してくれると思います。私はこれをTask Quadrantならぬ、暇潰しQuadrantと呼びたいと思います。Task Quadrantにおいては緊急性と重要度によって仕事を4区分に分け、その中で第2 Quadrant、すなわち緊急性は低いが重要な仕事、に意識的に時間を振り分けよと教えられます。つまり重要性は緊急性より上位に置けということですが、暇潰しQuadrantにおいても「自分の幸福」は「他人の幸福」よりも優先されるべきだと私は思います。人が幸せになっても自分が不幸であるならば、本末転倒だと思います。(世の中には我が身の不幸に快感を覚えるM体質の人が少なからずおりますので、そうした人の不幸は不幸とは考えないとします)
この自分と他人、幸と不幸によって物事を区分する方法は、暇つぶし行為の区分以外にも広く使えるのではないかと思います。例えば、消費税への賛否。消費税を考える時に、それが自分にとって良いのか悪いのか、自分以外の人々にとって良いのか悪いのか、単純に分類してみればいいと思います。私にとっては消費税は最悪のQuadrantに入っています。財務省は、消費税増税しないと国家が破綻するとか円安がすすむとか、社会保障費が不足するとか、言ってますけど、とりあえずそういったものは全て度外視して、自分と自分の身の回りの人間の幸福によって自分自身で判断し態度を決めてていくのがシンプルではないかと思います。その総意が民意であるべきだし、民意が不幸な結果につながったのなら、新たに民意にそって改めればよい、と私は思います。民意が誤るのは世の常で、誤れば正せばよいし、誤ったと思ったら、何かを学ぶ機会を得たと考えればよいです。それが無理でも、しばしの間、暇を潰せて倦怠を感じずに済んだと思うことは可能ではないでしょうか。