環境問題の続きですが、大気の汚染に加え、化学物質や油、産業廃棄物、殆ど全ての毒性物質や人間のつくり出す有毒な廃棄物は結局、海へ流れ込み、汚染が海に蓄積することになります。食物連鎖による脂溶性化学物質の蓄積により、マグロなどの大型魚類はかなり危険なレベルまで汚染されており、妊婦や子供は摂食しないようにとの勧告がなされています。大人でも週に一回一切れぐらいに留めるようにしないとメチル水銀などの神経毒などによって発病する可能性がでてくるようです。ツナの缶詰を週に一回食べていた女の子の髪の毛のメチル水銀のレベルは食べなかった姉妹の数十倍近い数値であったというような話も聞きます。
日本の食文化に海の幸は欠かせません。漁業やその周辺でのビジネスの規模を考えると、マグロなどの大型魚類やその加工品のかまぼこなどを食べないようにしましょうというようなキャッンペーンを行うとかなり大きなパニックになる可能性があると思います。おそらくそういう理由で、現在のところ日本では海産物の摂食について、政策側が積極的に抑制をかけようとはしていませんが、このまま放置すれば、近いうち水俣病患者が全国規模ででることになるのは間違いないだろうと思います。少なくとも私は魚やその加工品はなるべく食べないようになりました。もちろん危険なのは海のものだけに限りませんが、海に全てが流れ込むという性質上、海のものが最も危険であるのは間違いありません。この汚染され、破壊された環境は将来どうなっていくのでしょうか。いったい人類にとって安全なレベルまで回復する可能性はあるのでしょうか。
ところで、昔から生まれ変わりの例が数多く報告されています。私も東洋の人間ですから生まれ変わりはあるであろうとは思っていますが、自分自身でそうした例に直接遭遇したことはありません。私が結構納得させられた例は、イギリス女性、Jenny Cockellの生まれ変わりの話でした。彼女の「Across time and death」というタイトルの本は、過去の生涯の記憶を実際に確認していく過程を綴ったものです。彼女は彼女の産まれる二十年程前に35歳で死んだアイルランド女性、Maryの記憶を持っていて、その記憶を頼りに自分の過去の人生をたどり、Maryや彼女の記憶にあるものが実在した事を確認し、最終的にMaryの子孫に会うという話です。興味深いのは、彼女はどうも未来の自分の人生の記憶も持っていて、ネパールでの少女時代の一部の記憶があるらしいです。未来のことなのでこれは確かめようがありませんが、彼女の記憶に基づいた村の様子に非常に近い所がネパールに存在するらしいです。もちろん、彼女はネパールに行った事もなく、ネパールについて殆ど何の情報ももっていませんでした。(今ならインターネットで世界中の情報が瞬時に手に入りますが、この本の出版されたころはインターネットやe-mailは使えない時代でした)こうした未来の記憶をもっている人の話は他にも複数、読んだり聞いたことがあります。時間が一定方向に流れていくという現代の常識から考えると、未来の経験を過去形で語れる経験があるというのは理解しがたいことですが、ホーキングによれば宇宙の終焉には時間は逆方向に流れるらしいですし、時間が私たちの感覚のみによって考えられているような形でしか存在しえないとは結論できないと思います。生まれ変わりとか未来の記憶とかのこうした常人には理解困難な話のメカニズムの説明はともかく、私のいいたいことは、これらの例では、比較的似通った未来の世界の様子が描写されているようだということなのです。今から百年ぐらい先の未来では、地上は静かで緑にあふれているのですが、人口はかなり減少しています。しかし海の汚染はひどいままです。こうした話を私は十五年以上は前に出版された本によって知ったのですが、その出典がどうも突き止められないので、私が覚えているこれ以上のことについての未来像はわかりません。少子化や海洋汚染による海産物の危険の問題は比較的近年クローズアップされてきたように思うのですが、割合古いこれらの本にこうしたことが、いわば予言的に書かれているというのは、私にとってはちょっと驚きなのでした。これまでの傾向を見ていると、未来の人口減少と海洋汚染はかなりの確率で実際におこることだと思います。一見、静かで緑あふれる地上が実は激しい汚染によって人口が減少したためであるという未来像は、ちょっと怖いものがあります。中学生時代に読んだレイチェルカーソンの「沈黙の春」に私は強い恐怖を覚えたのを思い出します。この有名な本はエコロジスト、カーソンが1962年に出版した化学物質による環境汚染の告発書で、この本がアメリカ社会を揺り動かし、DDTなど合成殺虫剤などの大量使用に歯止めがかかる原因となりました。しかし現在では、合成化学薬品の開発は、以前にも増して盛んとなり、バイオテクノロジーの分野では、微小合成化学分子のライブラリーなどを用いて生物活性があり、薬となりうるような化学薬品の開発、発見に余念がありません。そうした新しい薬が発売される時には、その薬品が長期において人間や他の生物にどれぐらいの影響があるのかはもちろんわかってはいません。せいぜい百名足らずの限られた数の臨床試験で、短期間に目に見えるような副作用がないことぐらいしかわかっていないはずです。まして、商品となった場合、大量に合成された生理活性をもつ薬品が、世界中にばらまかれ、多くの人に長期間使用され、人体に入り、排出されて、環境にどんどん蓄積していく、その影響がどれほどのものか誰も知りません。そして万が一、思いもかけない悪影響があるということがわかった時には、こうした化学物質を環境から除去する方法はまずないのです。実際、これまでに環境に蓄積されてきた生理活性物質の影響と思われる動物の奇形、不妊が報告されています。人間の男性の平均精子数は、近年、激減しているおり、人間の環境に存在するホルモン様作用を持つ化学物質が原因となっている可能性が示唆されています。こうした現状を人間はすぐにはどうすることもできません。
十五年前、12歳のセヴァンスズキさんは、リオデジャネイロで開かれた地球サミットで、子供代表として「伝説のスピーチ」をしました。インターネットでその全文の訳を見つけたので、転載します。YouTubeでもそのスピーチの様子がアップされていました。
セヴァン=スズキスピーチ全文
こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。
私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。
ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。
私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」
家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。
もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、
争いをしないこと
話しあいで解決すること
他人を尊重すること
ちらかしたら自分でかたずけること
ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
分かちあうこと
そして欲ばらないこと
ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。
なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。
最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。
このスピーチから十五年、人類に多少の進歩はあったでしょうか?私は小さな進歩はおこりつつあるように思います。しかし、それらの進歩は余りに小さく、現在の破壊され汚染された環境を目に見えて改善するほどの力はまだないようです。しかも一方では、車、産業、様々な方法で私たち人間は環境を破壊し続けています。でもできることしかできないのだから、それをやるしかありません。 行動しないよりは、小さくてもできることをやるほうがずっといいです。ひょっとしたらその小さな歩みをずっと続けるうちに、光明が見えるかもしれません。百年先は無理でも、千年先ぐらいには。
日本の食文化に海の幸は欠かせません。漁業やその周辺でのビジネスの規模を考えると、マグロなどの大型魚類やその加工品のかまぼこなどを食べないようにしましょうというようなキャッンペーンを行うとかなり大きなパニックになる可能性があると思います。おそらくそういう理由で、現在のところ日本では海産物の摂食について、政策側が積極的に抑制をかけようとはしていませんが、このまま放置すれば、近いうち水俣病患者が全国規模ででることになるのは間違いないだろうと思います。少なくとも私は魚やその加工品はなるべく食べないようになりました。もちろん危険なのは海のものだけに限りませんが、海に全てが流れ込むという性質上、海のものが最も危険であるのは間違いありません。この汚染され、破壊された環境は将来どうなっていくのでしょうか。いったい人類にとって安全なレベルまで回復する可能性はあるのでしょうか。
ところで、昔から生まれ変わりの例が数多く報告されています。私も東洋の人間ですから生まれ変わりはあるであろうとは思っていますが、自分自身でそうした例に直接遭遇したことはありません。私が結構納得させられた例は、イギリス女性、Jenny Cockellの生まれ変わりの話でした。彼女の「Across time and death」というタイトルの本は、過去の生涯の記憶を実際に確認していく過程を綴ったものです。彼女は彼女の産まれる二十年程前に35歳で死んだアイルランド女性、Maryの記憶を持っていて、その記憶を頼りに自分の過去の人生をたどり、Maryや彼女の記憶にあるものが実在した事を確認し、最終的にMaryの子孫に会うという話です。興味深いのは、彼女はどうも未来の自分の人生の記憶も持っていて、ネパールでの少女時代の一部の記憶があるらしいです。未来のことなのでこれは確かめようがありませんが、彼女の記憶に基づいた村の様子に非常に近い所がネパールに存在するらしいです。もちろん、彼女はネパールに行った事もなく、ネパールについて殆ど何の情報ももっていませんでした。(今ならインターネットで世界中の情報が瞬時に手に入りますが、この本の出版されたころはインターネットやe-mailは使えない時代でした)こうした未来の記憶をもっている人の話は他にも複数、読んだり聞いたことがあります。時間が一定方向に流れていくという現代の常識から考えると、未来の経験を過去形で語れる経験があるというのは理解しがたいことですが、ホーキングによれば宇宙の終焉には時間は逆方向に流れるらしいですし、時間が私たちの感覚のみによって考えられているような形でしか存在しえないとは結論できないと思います。生まれ変わりとか未来の記憶とかのこうした常人には理解困難な話のメカニズムの説明はともかく、私のいいたいことは、これらの例では、比較的似通った未来の世界の様子が描写されているようだということなのです。今から百年ぐらい先の未来では、地上は静かで緑にあふれているのですが、人口はかなり減少しています。しかし海の汚染はひどいままです。こうした話を私は十五年以上は前に出版された本によって知ったのですが、その出典がどうも突き止められないので、私が覚えているこれ以上のことについての未来像はわかりません。少子化や海洋汚染による海産物の危険の問題は比較的近年クローズアップされてきたように思うのですが、割合古いこれらの本にこうしたことが、いわば予言的に書かれているというのは、私にとってはちょっと驚きなのでした。これまでの傾向を見ていると、未来の人口減少と海洋汚染はかなりの確率で実際におこることだと思います。一見、静かで緑あふれる地上が実は激しい汚染によって人口が減少したためであるという未来像は、ちょっと怖いものがあります。中学生時代に読んだレイチェルカーソンの「沈黙の春」に私は強い恐怖を覚えたのを思い出します。この有名な本はエコロジスト、カーソンが1962年に出版した化学物質による環境汚染の告発書で、この本がアメリカ社会を揺り動かし、DDTなど合成殺虫剤などの大量使用に歯止めがかかる原因となりました。しかし現在では、合成化学薬品の開発は、以前にも増して盛んとなり、バイオテクノロジーの分野では、微小合成化学分子のライブラリーなどを用いて生物活性があり、薬となりうるような化学薬品の開発、発見に余念がありません。そうした新しい薬が発売される時には、その薬品が長期において人間や他の生物にどれぐらいの影響があるのかはもちろんわかってはいません。せいぜい百名足らずの限られた数の臨床試験で、短期間に目に見えるような副作用がないことぐらいしかわかっていないはずです。まして、商品となった場合、大量に合成された生理活性をもつ薬品が、世界中にばらまかれ、多くの人に長期間使用され、人体に入り、排出されて、環境にどんどん蓄積していく、その影響がどれほどのものか誰も知りません。そして万が一、思いもかけない悪影響があるということがわかった時には、こうした化学物質を環境から除去する方法はまずないのです。実際、これまでに環境に蓄積されてきた生理活性物質の影響と思われる動物の奇形、不妊が報告されています。人間の男性の平均精子数は、近年、激減しているおり、人間の環境に存在するホルモン様作用を持つ化学物質が原因となっている可能性が示唆されています。こうした現状を人間はすぐにはどうすることもできません。
十五年前、12歳のセヴァンスズキさんは、リオデジャネイロで開かれた地球サミットで、子供代表として「伝説のスピーチ」をしました。インターネットでその全文の訳を見つけたので、転載します。YouTubeでもそのスピーチの様子がアップされていました。
セヴァン=スズキスピーチ全文
こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。
私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。
ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。
私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」
家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。
もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、
争いをしないこと
話しあいで解決すること
他人を尊重すること
ちらかしたら自分でかたずけること
ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
分かちあうこと
そして欲ばらないこと
ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。
なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。
最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。
このスピーチから十五年、人類に多少の進歩はあったでしょうか?私は小さな進歩はおこりつつあるように思います。しかし、それらの進歩は余りに小さく、現在の破壊され汚染された環境を目に見えて改善するほどの力はまだないようです。しかも一方では、車、産業、様々な方法で私たち人間は環境を破壊し続けています。でもできることしかできないのだから、それをやるしかありません。 行動しないよりは、小さくてもできることをやるほうがずっといいです。ひょっとしたらその小さな歩みをずっと続けるうちに、光明が見えるかもしれません。百年先は無理でも、千年先ぐらいには。
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