百醜千拙草

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危険なゲーム

2007-04-24 | Weblog
最近の格差社会、当たり前ですが資本主義がグローバルに浸透していった結果だと思います。狭い意味での成功すること、つまり経済や社会的地位において優位な立場を求めること、が何より大切だという考えは、例えば私が高校生や大学生だった時代は、はしたない事だと考えられていたように思います。表向きだけでなく、心の底から金持ちになったり出世したりすることに興味がないと考えている人も多くいたと思います。最近はイデオロギーとしての資本主義ももっと低俗に「市場原理」と呼ばれているようです。人の価値を単純なものに例えてしまう訳ですね。例えば、研究者が職探しをする場合、需要と供給のバランス、その人の研究者としての能力、将来性など、選考のプロセスは株式投資みたいなものです。根本的にそうした市場原理が社会活動のあらゆる面にあるのは事実ですが、それが近年非常に露骨になってきているような気がします。このことはやはり「お金」の社会における重要度が上がってきているからだと思います。社会活動の多くを経済活動の面から見る癖がついてしまっているのです。世界がせまくなり、共通の言語として「お金」でコミュニケーションをとることが合理的だからでしょう。私はこれは大変よくない傾向だと思います。勝った負けたで世の中のものや人を判断するわけです。昔、「マルビ」「マル金」という言葉がはやりました。貧乏人と金持ちですが、そのころは、これは架空のステレオタイプをおもしろがる「遊び」だという認識がありました。しかし最近の勝ち組、負け組とかいう言葉には、そうした風情というかユーモアというかそうしたものを感じません。マル金は、金持ちの恥ずかしいところを笑うわけですが、勝ち組という言葉には絶対的に勝ち組が負け組よりも上という価値観が織り込まれています。私からみると、おとなげないというか余裕がないというかそんな気がするのです。単純な市場原理の価値観を私はアメリカを中心とする近代資本主義に押し付けられ、日本は生き延びるためにそれを受入れてきたのですが、最近はいやいやではなく心からその価値観を信じているようにさえ思います。この経済第一主義はどこまで続くのでしょうか?私はそれはいずれ訪れるであろう地球的食料危機が到来した時に、崩壊していくような気がします。お金が大事なのは、お金で多くのものが買えるからで、お金で欲しいものが買えないような状況になった時には役立ちません。そうした状況となったときに誰が世界を救い得るでしょう。そうした危機を乗り切るためには価値観の多様性が許される社会でなければならないと思います。多様性を許容できる社会は豊かです。なぜなら多様性は非効率的だからです。価値観のマイノリティーはある意味では社会のアソビ部分であり、社会の安全装置であり、将来への投資だと思います。
 研究の世界は前から市場原理が強い世界でした。明らかに競争があってそれに勝ったものは褒美をもらえますが、同じだけの労力をかけても競争に負けると取り分はぐっと少なくなります。競争になる理由は、需要と供給のバランスが悪いからです。有名雑誌に論文を出せば研究資金の獲得その他で有利になります。有名雑誌に載せるには、みんなの関心の強いホットトピックをやらねばなりません。その分野がホットになる前からこつこつやっていた人は、そこで大きなチャンスを得ることになりますが、多くの人はホットだからそこに参入してきた人々で、いわばゴールドラッシュみたいなものです。競争に勝てば褒美があるというのは余りにわかりやすいわけで、ゴールドラッシュにのせられる人々はその褒美が目当てなわけです。確かにある特定の目的を達成するという場合、複数のグループに競争させて、勝者に褒美を与えれば早いわけです。昔、日銀の建物を作る時の石工が余りに仕事が遅くそろって賃上げを要求するので、四グループに分けて建物の四隅から競争させて褒美を与えたら、あっという間にできあがったという話を聞いたことがあります。建物をたてる場合とかのようにはっきりした目的を達成する場合に競争の導入は効率をあげるでしょう。しかし、研究はそうではありません。人類の健康の増進とか、癌を直すとか、究極の目的はあると言えばあります。しかし、そうした究極の目的というものはまっすぐに目指していって到達できるものではありません。科学の進歩は地道にこつこつやっている中の小さな発見を積み重ねることで、概念を作っては壊し、そして将来の方針を試行錯誤で設定していくことを繰り返す途方もない道筋を通っていくわけで、ある意味限りない努力の上にふと訪れる幸運に頼っているわけです。ですから科学の進歩には、できる限りの多様性のある研究を許容できる底力みたいなものが不可欠だと思うのです。すぐに成果が目に見えない研究をこつこつやる人が多くの分野にいることが、研究界の基礎体力の源だと思います。最近の日本、アメリカの研究の世界でお金の配分の仕方を見ていると、基礎体力を上げることをおろそかにして、ゲームに勝つ事のみを重視しているように見えます。"Translational Research"といわれる比較的臨床応用に近い研究を推進しようという動きがありますが、 こうした分野を意図的にトップダウンで進めようというアイデアは百害会って一利なしでしょう。勿論みんな臨床に役立つことをしたいとは思っていますから、役に立ちそうな何らかの発見があれば臨床応用を考える人は既にいっぱいいます。ここにあえて外から主導を加える必要はないのです。むしろそうした所に集まってくるひとは褒美めあての人も多いでしょうから、それらの人がどれだけ本来の目的達成に情熱を持って取り組めるのか怪しいところです。基礎体力の充実をおろそかにしてゲームに勝つ事を最重視するのは、本末転倒です。上場廃止となったライブドアみたいに、そういう態度はインチキを生みます。科学界でもここ数年毎年、少なくない数の捏造論文スキャンダルが有名大学から聞かれます。競争があって勝ち負けがあれば、インチキしてでも勝ったものが偉いと思うものが増えてくるのは当然でしょう。研究界に限らず、インチキは多大な悪影響を及ぼします。研究でも会社でもその社会に貢献してすることに存在意味があります。インチキして勝った場合には勝った人だけが得をし、社会は損をすることになります。最近の勝ち組、負け組という一元的な見方で判断してしまう風潮を見ていると、社会の退行現象、幼稚化が進んで行っているのではと危惧するのです。
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2 コメント

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こんにちは (今日の1日)
2007-04-24 22:29:24
はじめまして^^

私の芸能サイトで
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

紹介記事は
http://rukanews0002.blog96.fc2.com/blog-entry-375.html
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これからもよろしくお願いいたします^^
返信する
こんにちは (ドラマの視聴率)
2007-04-24 23:15:41
はじめまして^^

私のテレビドラマのサイトで
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

紹介記事は
http://blog.livedoor.jp/blog001007/archives/50092231.html
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これからもよろしくお願いいたします^^
返信する

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