シンクロニシティーというやつですか、複数の人から同時にキャリア アドバイスを求められました。
なんで私?と思いましたけど、多くの人にとっては、ビルゲイツに成功の秘訣を聞くよりも、来月の運営資金の工面に苦労する零細企業経営者に話を聞く方が実際的なアドバイスを得られるでしょう。というわけで、思いついたことを言いました。
そもそもキャリアなど要らぬ概念だと思っております。ほとんどの人間が社会生活を営んでいくために、何らかの活動によってメシを喰っていく必要があるわけですが、社会を回すための作業がシステム化され、その部品としての人間の社会的アイデンティティがキャリアというものではないかと穿った見方をしています。キャリアには肩書きというものがつきもので、人は肩書きで他人を判断しがちです。でも、長年生きていれば、肩書きほど信用できないものはないのは実感するもので、私は常々、人間だれしも、裸の人間でやってはいけぬものかと思ったりするわけです。
また、カネにしばられない理想の世界では、人々はその時々に好きなことをして生きています。キャリアというものに縛られたり、その「通るべき道」を踏み外さないようになぞっていくような人生は、理想の世界から見れば惨めなものです。しかし、現実社会では生きていく上にはカネもいるし、自尊心も満たされたい、安定した老後も過ごしたい、云々、といろいろ欲望もあるわけで、野に吹く風のように自由に生きていくのは難しく、妥協としてキャリアという枠の与える安定の中でやりがいを追求するという形になっていると思います。ま、弱肉強食の資本主義の世界で、持たざるものが安定を求めるには、長いものに巻かれるしかありません。それは、会社であったり、社会のシステムであったりするわけで、だから優秀な人が公務員や国家資格が必要な職業に就きたがるのでしょう。
本音では、キャリアパスをなぞるより、一回きりの人生で自分は何を成したいのかを問う方が大切だろう、と思うわけですが、私も含めて理想と現実はうまく折り合いをつけていかねば、生活も場合によっては人格も破綻するので、結局、極端なことは避けて、中道を行くのがよいのだろうとは思います。
キャリアとは別レベルの話ですが、いわゆる成功した人々が口を揃えていうのは、「幸運であった」ということです。彼らに成功の理由を聞いても、運が良かった、としか言いません。ま、様々な人生の転機を「幸運」と捉えるか「不運」と捉えるかはその人次第ですから、成功のコツはその辺りにあるのかも知れません。私も数々の「失敗」を心からは失敗だと思っていないので、今だに細々とこの業界に残っているのだろうと思います。そうでなければ心挫けて、とっくの昔に辞めていたでしょう。
一人の人の、結構政治的な判断も絡む深刻な相談には、正直に「どっちをとったとしても、人生、運ですから (ダメだったら運が悪かったと前向きにあきらめましょう)」と返事するのもどうかな、と思ったので、無難な返事をしました。多くの人は人に相談する時点でおそらく自分の心は決まっていて、それを肯定してもらいたいのだと思います。それで、肯定も否定もしないぼうっとした話をしました。
私的には、どうせ、みんなそのうち死んでしまうのですし、成功とか失敗とかに捉われず、それぞれにユニークな人生を送ることの方が大切だと思います。良いことがあれば運がよかった、悪いことがあれば運が悪かった、ハイ、次にいきましょう、でいいではないか、と思います。
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