百醜千拙草

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口にしてはならないことをなぜ言うのか

2023-02-23 | Weblog
ある中年女性のエッセイをネットで目にしました。
50歳ぐらいになって、自分は社会から目に見えない存在になった、という実感が綴られています。若い時は魅力的な容姿でモテた方だった。でも今は、男性のみならず、誰も他人が自分に注意を向けなくなった、お客として店に行っても店員が気づかないことがある、などなど。

昔、バブルの頃、「私がおばさんになっても」という歌がありましたけど、若い女性は男性にとってより高い価値がある、というような「下品」な内容の歌詞が堂々と歌われました。今では流石にダメでしょう。

人は他人への態度を自分の利益に結びつくか結びつかないかで決めますから、中年になった女性に若い男性が興味を示すことは少なくなるのは分かります。逆に、見た目の良い人、金持ちそうな人、地位の高い人に人は寄っていきます。誰でも自分の得を考えない人はいませんから、それは仕方がない。しかし、それが態度に出てしまう、口に出てしまうのは、人間として賎ましい。

他人の身になって考える想像力と謙虚さを持っていれば、心で思っても口に出してはいけないことは数多くあるということは分かります。口にすれば、普通、直ちに我が身に報いが返ってきます。ところが自民党の世襲政治家のように、そういうことをしばしばしてしまうのは、人の身になって考える能力が低いのに加えて、それが許されると思う特権意識があるからでしょう。

ここ数週間、ネットを賑わせてきて、外国メディアにも強く批判されたT大出の経済学者?の「日本の老年化問題の解決法は老人の集団自殺」という発言ですが、まさにこれは、人の身になって考える想像力の欠如、これがナチスと同じ選民思想であることの認識の不足、口にしてはならないことを言っても許されるとでも思っている傲慢な特権意識、が露骨に現れています。ネットで数え切れぬ人々がこれらを指摘し批判していますから、私があらためて言うべき話ではないのですが、この「特権意識」が、今の日本の凋落の根本原因であると思ったので、一言触れておきたいと思いました。

一応、日本には憲法というものがあって、国の理念に加え、国と国民の権利や義務といった根本的なルールが明記されております。憲法を持たない国ももちろんありますけど、憲法は法治国家における原則であります。アメリカ独立宣言の最初に述べられている「すべての人は平等に作られて、生命、自由、幸福を追求する権利が与えられている」の精神を組み込んだアメリカ合衆国憲法に準じて、日本国憲法14条「法の下の平等」は定められており、「老人の集団自決」が直ちに日本国憲法の精神、アメリカを含む近代国の価値観に著しく背くことは自明です。

憲法の話をしなくても、これが忌むべき発言であることは多くの人が直ちに感じ取り批判を展開しました。私が問題だと思うのは、この外国メディアでも大々的に批判された憲法の精神に反する「差別発言」を日本のTVやメディアはほとんど報道しないことです。同様に自民党の世襲議員のタロウ’sとかの傲慢発言も批判せずにスルーする、これは世襲議員の彼らのみならずメディア自身が特権意識を持っているからでしょう。今朝のTVのニュースの内容も浅薄でした。詐欺事件などの三面記事かスポーツニュース。国会ではすでに予算委員会が終盤戦に入っており、もっと国民個人にとって生活と将来に直結する重大な議題が議論されております。岸田が例によって木で鼻を括ったような答弁をして、少子化、脱原発、食料を含めた安全保障、統一教会問題などに対処を求める野党に「検討する」というだけの不誠実な答弁を繰り返し、ネットでは「検討使」と呼ばれていますけど、メディアは批判どころか報道もなし。新聞もTVも滅びゆく媒体である理由が分かります。

どんな不誠実な答弁をしても、どうせ野党も国民は何もできないと思う与党の傲慢な特権意識、報道は視聴者や新聞購読者の国民の知りたいことではなくて政府やスポンサーが流したい情報を流せばいいと思うメディアの特権意識が漂っているように思います。
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