夢うつつのうたた寝中に『躁政治』という言葉が浮かんだ。
『安倍晋三の躁政治』『躁政治はいつ終るのか』『躁政治に翳り』というようなタイトルで、たまには書いてみたいとも思った。
誰かが書いているだろうと思って検索したけれど、躁状態とは表現してあっても『躁政治』とは言ってないようだ。
政治を語るとき、ダジャレと誤解されるようなことは避けるからだろうか?
寒いギャグだと思われたら、そこで終いとなってしまうからだろうか?
今の政治を観る限り『躁政治としか言えないじゃないか』と思う。
ねじれてなければいけなかったのに、参議院選での結果から、あからさまに躁政治が始まった。
それがようやく滋賀県知事選で翳りが見えてホッとしている。
面白くて堪らないといった状態に見える権力の座を、恐ろしいものだと自覚することがあるか・・できるか・・流れを観ていきたい。
『安倍晋三の躁政治』『躁政治はいつ終るのか』『躁政治に翳り』というようなタイトルで、たまには書いてみたいとも思った。
誰かが書いているだろうと思って検索したけれど、躁状態とは表現してあっても『躁政治』とは言ってないようだ。
政治を語るとき、ダジャレと誤解されるようなことは避けるからだろうか?
寒いギャグだと思われたら、そこで終いとなってしまうからだろうか?
今の政治を観る限り『躁政治としか言えないじゃないか』と思う。
ねじれてなければいけなかったのに、参議院選での結果から、あからさまに躁政治が始まった。
それがようやく滋賀県知事選で翳りが見えてホッとしている。
面白くて堪らないといった状態に見える権力の座を、恐ろしいものだと自覚することがあるか・・できるか・・流れを観ていきたい。