
玄武洞の蔦が紅葉していた。
NHK大河ドラマ『西郷どん』の岩倉具視役が大阪弁でまくし立てるのをみて白けてしまい、それまで欠かさず観ていたのに、観たり観なかったりになった。
ドラマは創作側と観客側との約束事があって成立するものなのに、その約束事が破られ、緊張の糸がプツンと切れた感じに思われた。
今までの何十年にも及ぶ、さまざまなドラマで演じられてきた公家というものが、どのような話し方のどのような表情や挙措一般をするものかが固定観念のように出来上がっている。
その約束事を一人の演者がぶち壊したのか、意外な起用演者でぶち壊したかったのか、制作側の誰のどのような意図があっての起用だったのか、いずれにせよ観客の一人である私は、鶴瓶の革命的演技に乾杯! とはならなかった。
昨日は、先の日曜日の夕方から長距離ドライブをしたので観られないのを惜しいとも何とも思わなかった『西郷どん』の再放送をたまたまテレビを点けたらやっていたので観たけれど、また岩倉具視で白けてしまった。
一人一人の役者が演じる歴史上の人物に、ちょっと無理があるなぁ・・とか、上手いなぁ・・とか思いながら一緒に創り上げている気分になるのが面白いのだけれど、誠にもって残念無残。