値段に惹かれ、ついに購入してしまった集音器。
補聴器という名が付けられていないのはなぜだろう。
補聴器というのは、メーカーの商標なのだろうか。
それはともかく、健康診断で聴覚に問題ありという指摘があったのは20年近く前からだった気がする。
それで、聞こえが悪いなと、ようやく自覚したのが5年ほど前からだろうか。
耳が聞こえにくいというのは、自分ではあまり不便を感じなくて、聞こえにくいのは相手がはっきりした物言いをしないせいだと思いがち。
ニュースを読むアナウンサーの声はよく聞こえて理解できるのだから、そのまま聴き続けて聞こえにくい場合は、出演者の話し方が悪いと、ついつい思う。
日常会話では、はっきり全部が聞こえなくても、聞くだけ頷くだけで済む場合はあまり問題ない。
ちゃんと細かい部分まで理解しないと応えられない内容の場合は、こちらに聞く態勢を促し理解を求める態度を示さないまま話す相手が悪いのだと思ってきた。
テレビドラマも字幕付きで観る。
映画は滅多に見ないけれど、外国語を話す部分があって字幕が現れると、日本語ばかりよりその方が安心する。
というわけで、複数の人間の集まりの会話は、よく聞こえなくても、その場の雰囲気で頷いたりして流すことも多い。
積極的に発言する方ではないので聞き役が多いけれど、分かったフリが多いわけで、この際ここで謝っておこうか。
分かったようにしていつも聞いていますが、半分くらいしか聞いていません、聞こえていません、すみませんでした。
それで、この集音器はボリュームダイヤルが微妙なのだが、自分に合うポイントがあり、そうなると素晴らしく聞こえる。
テレビを独りで観るときは、気兼ねする必要もないので、テレビのボリュームをかなりあげて観るのだが、着けたら普通の人が聞くボリュームでも良く聴こえる。
ただ、近くの物音も拾うので耳なんぞ搔こうものならガサガサとうるさい。
耳に入れる受音突起カバーはSMLのサイズがあり、Mサイズが付いていたのだが、私には大きすぎた。
Sでも大きすぎるので、ゴムを切って小さくしなくてはならない。
私は耳の穴の小さい人間だったことが判明した。
人の言うことを聞かないのは、そのような生まれだったからなのだと周りの方々には、今更ながら理解を求めたい。
とりあえずの補聴器代わりに買った1480円の代物なので、会議に参加したり公演を観に行くことはもうほとんどないけれど、そんな折に便利だと思う。
加齢だけの理由からではなく、いつの間にか社会から遠ざかるのは、不具合が生じてのことなのだろうなと思う。
私はこれで積極的になれるかもしれない。