昨日と別の場所では、Yの字に並んだ25個ほどの飛び石がほぼ半数地中に埋まっていた。
右上の先は私がコンクリートスロープに上がりやすくするために最近置いた。
そこまでの12個は地表に見えていなかったのを探り当て、バールでこじては下に土や小石を入れて配置は元のままに浮き上がらせた。
平らで皺のある石は、いま採石不可となっているダッペイセキというもの。
この辺りではウチ以外にも何軒か石の好きな家があり、石屋がトラックで来ては買ってくれるまで長話をしていたものだとか。
2日前に石を掘り上げているのを覗きにきた近所の人は、自宅を新築したときにトラック一杯の石を積んだ石屋がやってきて、50万円のところを40万円にするからと言うのでついつい買ってしまったが、今思えばバカなことをしたと悔やんでいた。
ウチの亡き父のことを、ある石屋が『良い人ですねぇ』と言っていたと別の近所の人が以前教えてくれたこともある。
その言い方から、父がヒトの良いカモだったことがうかがわれて嫌な気がした。
ほめているようで実は嘲っている調子だったのは、彼がこの辺りでは成功した実力者だからかもしれない。
私のやっかみ根性かもしれないのだけれど、幸い私は「良い人ですねぇ」と言われるほどのゆとりがないので埋まっているものをほじくって遊んでいる次第。
Yの左側7個も草でほとんど隠れていたのを露出させたもの。
右下の大きい幾つかは私が今回よその場所にあったのを運んできて設置した。
なぜここまで埋没してしまうのか、色々とやっていて思い知らされたことは、蕗(ふき)の地下茎の猛々しさ。
雪解けとともにあらわれるフキノトウ、そしてその後の葉っぱの茎もおいしくてありがたがられる。
ところが地下では太い根が竹と同様に這い回り、じわじわと石でさえ登り、やがては完全に隠してしまう。
蕗のせいばかりではないだろうけれど、Yの右側部分は春先にフキノトウが見事に吹き出て、訪ねてくる人が感嘆の声をあげる場所だった。
ウチと浅からぬ縁のある長老もけっこうな石好きで石屋から買わされたクチなのだが、『石を触り始めるとおもし(ろ)くての~」と言う。
確かにこの石をどうしてくれようかと手をかけたら最後ついつい夢中になる。
あらゆる筋肉を使い頭を使い道具も使い工夫して石を動かし始めると、肉体と相談しながらも時間が経つのを忘れてしまう。
下の画像は先日作った矢来の最終形態。
これで2mほど降り積もる雪から守られるはず。
あり合わせを使ったとはいうものの、私の労力を普通に計算したら、かなり高くつくキャベツとなる。
未熟な白菜も大根も春にはどうなっているか、じつは雪が消えてみないと分からない。