このような墓石の山を見るのは、ここで3箇所目になる。
初めて見たのは、延々と続いている朱の鳥居をくぐって上がった稲荷山の山頂でだ。
2回目は近くにある市営の墓地だったが、ここも市営なのか、それともお寺の墓地か。
これらの墓石は、守る人のいなくなった墓を集めたものなのだろうか。
それとも、墓終いをして他所に移った家の不要になった墓石なのだろうか。
新調して要らなくなった墓ということはなさそうに立派な墓石ばかりだ。
私の田舎では、半世紀前までお寺に付属した墓地と村の共同墓地の2箇所があり、両方に墓があった。
古い方を全部、お寺付属墓地に統合したり持ってきたりしたので、墓石や地蔵さんがかなり不要になった。
それらは『かいげん(開元?)戻し』という事(坊さんの儀式)をやって只の石に戻った。
そこで何を思ったか、私の父はそれら石の総数で30個ほどを貰い受けて屋敷に持ち込んだ。
只の石に戻っているとしても、地蔵さんが彫られている舟型のものや、氏と紋が彫られたものを踏み石にしたり石垣に積んだりできるものだろうか。
信長は安土城を築城するに当たって、墓石を石段に利用したりもしたそうだけれど、父は結局のところ何に利用することもできずに放ったらかしにして、今、私を悩ませている。
この墓石の山はとりあえず墓地のモニュメントとして役立てているのだろうか。
核の廃棄物や福島の汚染水なんかも連想してしまう。
生家の墓石は、水の溜まらなくなっている池の底を浚えて平らに敷き詰めようかと考えている。