和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

職人像への切り口。

2023-12-01 | 前書・後書。
注文の古本・吉田光邦著「日本の職人像」(河原書店・昭和41年)届く。
とりあえず本が手許に届けば、もうそれだけで安心して読まなくなる私。

けれどこの本の『あとがき』だけは、しっかり引用したくなりました。
テレビ東京だったか、外国人が、日本の職人さんへ数日間弟子入りして
その家庭などで食事をしたりして帰ってゆくという番組がありますよネ。

たまにしか見ないけども、思わず心持ちが緩むようで印象に残っております。
「日本の職人像」の「あとがき」を読むと、そのテレビを思い浮かべました。
ということで、ここに本の『あとがき』の全文を引用しておくことに。


「 河原書店主からこの書のおすすめを受けたのは、わたくしが
  三度めの西アジアの旅から戻って、報告書を書いているころであった。

  西アジアでわたくしはずっと手工業の技術を調べてつづけていた。
  陶工、金工、木工・・・それらの仕事に従う人びとは、みなわたしが
  これまで接してきた日本の職人たちと全く同じ人びとであった。

  自分の仕事、技術に誇りをもち、しかも貧しい暮らしに甘んじながら
  うすぐらい工房で黙々と終日働きつづける人であった。

  彼らはこの異邦の旅人に、こまかに工程を語り、自分の作品を見せ、
  時には食事まで用意してくれる。その細やかな心づかい、
  人間はどこへ行っても人間であった。

  そんなことを考えながら、もういちど日本の職人像をたしかめようと、
  すこし歴史的な経過を追ってこの書物を書いてみた。


  すでに職人論を二冊ほど書いている。
  それらとはまたちがった資料と視角で構成したのが本書である。
  
  貧しく寂しい暮らしに閉じこめられつつ生きてきた
  日本の職人たちに、関心をよせられる方は、

  小著『日本の職人』(角川)、『日本技術史研究』(学芸出版社)を
  合わせて参照していただければ幸いである。

  最後にこの書の出来上るについての河原書店の方がたの
  お骨折に御礼申し上げる。

                  1966年5月  吉田光邦 」


ちなみに、発行所河原書店住所は、京都市中京区高倉通三条下ルとあります。


  
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茶の湯の、銘道に云はく。

2023-11-23 | 前書・後書。
本をひらかないと、書くことがないなあ(笑)。
あらためて、本の前書き後書きをひらきます。

生形貴重著「利休の逸話と徒然草」(河原書店)。
こちらも、なかなか読むきにならなくて、
それでも、徒然草のどの段を引用してるのか。
そういう、視点から興味の持続をはかります。

けれども、読む気がしないときは、
本のまえがきとあとがき。そこだけをめくります。
いい本は、そういう箇所をけっして疎かにしない。
ありがたいのは、最近そういうことに気づくこと。

ということで「利休の逸話と徒然草」の「はじめに」から
「茶道開祖とも位置づけられる村田珠光(しゅこう)」
その人の『心の文(ふみ)』からの引用をながめます。

「 此の道、第一悪き事は、
  心の我慢・我執(がしゅう)なり。

  巧者(こうしゃ)をばそねみ、
  初心の者をば見下す事、
  一段勿体無き事共なり。

  巧者には近づきて、一言をも歎き、又、
  初心の者をばいかにも育つべき事なり。・・・ 」

はい。この単行本で11行ほどの文なのですが、
ここを作者はどう書いていたか。

「 ・・『心の文』は、茶の湯におけるもっともすぐれた
  教育論になっていることを読みとるべきだと思います。 」(p14)

著者は説明をつづけておりました。

「 茶の湯に関わる者がもっとも陥りやすい『心の我慢・我執』、
  つまり、慢心と自由勝手な考えがこの道の大敵である事を
  まず述べています。

  そして・・つまり、巧者を妬んだり、初心者を見下したりすることが、
  もっともいけないこととして戒められ、巧者には教えを請い、
  初心者を育てなさいと述べています。・・・ 」

  
こうはじまって、『心の文』の最後の2行はどうだったか。

「 ただ、我慢、我執が悪き事にて候。
  又は、我慢なくてもならぬ道なり。
  銘道に云はく、
 『 心の師とはなれ、心を師とせざれ 』と、古人も云はれしなり。 」


はい。ここだけを読んで満腹感におそわれます。
全く、前書き後書きだけで私は読了の気分です。
それにしても、こんな本と出会えることの幸せ。
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もういくつ寝ると。

2023-11-17 | 前書・後書。
はい。11月も半分過ぎました。
堀田百合子著「ただの文士 父、堀田善衛のこと」(岩波書店・2018年)
の「おわりに」が思い浮かびます。そこから引用。

「 夏。
  暑い日が続くと、母の運転する車・・蓼科の山荘に移動します。
  初秋まで、ここで仕事をします。どこへも行きません。

  秋。
  山荘のベランダに黄葉、紅葉が降りしきるようになると、
  逗子の家に戻ります。
 『 もうすぐお正月ですね 』としきりに言います。
  なぜか、正月の行事や、おせち料理が好きでした。

  冬。
  毎年、年末になると、父は原稿用紙を折りたたみ、鋏を入れ、
  御幣を作ります。玄関に飾る若松に添えるためです。
  お供え餅には、半紙の代わりに父が原稿用紙を敷きます。
  書斎に新しい原稿用紙を用意して、父は新年を迎えます。 」               
                       ( p209~210 )

堀田善衛の本は、2冊くらいしか読んでいないのですが、
何か、堀田百合子さんの父のこんなイメージが印象深い。
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戦争を知らなかったオトナたち。

2023-08-18 | 前書・後書。
平成3年(1991年)生れの小幡敏(おばた・はや)氏の
新刊が気になったので購入する。

あとがきから引用。

「本書は・・連載『戦争を知らないオトナたち』に
 若干の修正を施し、大幅な加筆分と併せて一冊の書籍とした・・

 思い返せば、風変りなところのあった私は
 自分の生きる時代が信じられなかった。
 本当のものは昔にあるのだと信じた。・・・
 私はその確信を時代にぶつけて生きてきたのである。

 このとき、何故か私の脳裏にはいつも日本軍将兵が居た。
 どうやら私には、彼らが最後の日本人に見えた。・・・

 しかるに、彼らが私に笑いかけたことはなかった。
 その顔は硬く、悲しんでいるのか、じっとこちらを見つめては、
 くるりと背を向けられるような気がしてならなかった。

 ・・・・そして約半年間、一面識も無かった私の原稿に
 隅々まで目を通した上で心からなる激励と助言とを送って
 下さった長谷川三千子女史は本書執筆にかかる恩人であり、

 また、ともすれば塞ぎ込んだり苛立ったりしがちな私を気遣い、
 原稿の校正や表現の工夫にも協力を惜しまなかった妻智代は
 よき理解者であった。

 不肖な私を導いてくれた二人の女性に・・・    」(p263~265)


小幡敏著「忘れられた戦争の記憶」(ビジネス社・2023年8月1日発行)
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「新宮澤賢治語彙辞典」

2023-07-27 | 前書・後書。
もともと、本は最後まで読めなかったので、
その癖は、もう治らないとあきらめてます。
無理して、最後まで読んでも頭に残らない。

その癖して思うのは、贅沢な読書はしたいでした。

ところで、『宮澤賢治語彙辞典』というのがあります。
こちらは、宮澤賢治語彙辞典と、新宮澤賢治語彙辞典、
さらには、定本宮澤賢治語彙辞典(2013年)まである。
うん。何が何やらわからないままに、定本の辞典は、
一万円以上するので論外ということにして、ここは、
古本で「新宮澤賢治語彙辞典」を買ってみました。

ページ数は、本文が930ページ+索引139ページ=1069ページ

最後の方には、宮澤賢治語彙辞典の際の序も引用されておりました。
その旧版序文「本辞典を利用される方々へ」のはじまりを引用してみます。

「詩人、作家としては、日本ではもちろん世界的にもおよそ類例がないと
 思われる多種多様の語彙の駆使者、宮澤賢治 ・・・・

 その多彩さは、しかし、よく使われる『豪華絢爛』、『言葉の魔術師』、
 といったニュアンスとは一味ちがった、
 また古典派、教養派のもつ言語の多彩さとも一味も二味もちがった、
 それはなんと言ったらよいのか、
 
 彼らの書物臭や書斎の雰囲気を、感覚の偏差や文学臭を、
 まったく剥ぎとったと言ったらよいのか、はだかの言葉たちの
 無垢の実在感、即物性、リアリティー、軽快さ。

 例えば、天文、気象、地学、地理、歴史、習俗、方言、地名、人名、哲学、
 宗教、農業、化学、園芸、生物、美術、音楽、文学・・・等々の諸分野の
 名詞が、ごく自然に軽やかに繰り出されてきて・・・・・

 読者の意表をつく軽快さとうらはらに、やはり意表をつく
 それら名辞の難解さに、非常にしばしば眩惑されながら、
 この謎にみちた賢治世界の、いわば言語地理を、

 誰にもわかるような辞典のかたちにして作れないものかと
 私が思案しはじめたのは、もう20年も前のことである。・・・」(p922)

はい。これが「宮澤賢治語彙辞典」の序文のはじまり。
次に、「新宮澤賢治語彙辞典」の序のはじまりを引用。

「・・初版の刊行は1989年10月であった。ほぼ10年ぶりに、
 この「新宮澤賢治語彙辞典」は刊行されたことになる。

 ・・10年間・・思えば旧版刊行の翌日から、
 私は不眠症に襲われ、ずっと安定剤の世話になりつづけた。
 項目や説明の不備、不適切、錯誤、等々への不満足がしだいに募り、
 すぐにでも版元に絶版を申し入れたいほどであった。

 いっとう悔やまれたのは、一項につき幾通りもの生原稿を重ね、
 採用最終稿を上にして渡し、あとは校正まですべて編集部に
 委ねてしまったという私の無責任であった。・・・・・・・・     
  
                   1999年3月   原子朗 」


ちなみに、旧版序文には、こんな箇所もありました。

「例えば賢治得意のオノマトペの数々、
 それらが作品の中で果たしている
 音とイメージの感覚的役割をコメントしようと
 準備していた。そして他の形容詞や副詞等の取扱いと
 同じように、その頻度や種類、分布などを論じる工夫を
 私は考えていた。

 なんとかやりぬく自信もあったが、やはり断念した。
 未練も残ったものの、それらはまた別の機会にゆずることにした。」(p924)

「新宮澤賢治語彙辞典」をひらくのですが、こちらでも、
 宮澤賢治の、オノマトペは省かれておりました。残念。


はい。新・旧の辞典の序文を読んで、私はもう満腹です。
後はその都度、辞典を活用していけるように心がけます。


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風をたべ。朝の光をのむ。

2023-07-08 | 前書・後書。
私など、本を数行・数頁読んだだけで、
何だか、満腹で先へ読み進めなくなる。

などと、本を食べ物にたとえることがあります。
じゃあ、本を書く人にとってはどうなのだろう。

新潮文庫「注文の多い料理店」の目次をひらく。
最初は、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』(全)とあります。

  序
 どんぐりと山猫
 狼森と笊(ざる)森、盗森
 注文の多い料理店
 烏の北斗七星
 水仙月の四日
 山男の四月
 かしわばやしの夜
 月夜のでんしんばしら
 鹿踊りのはじまり

目次は、そのあとにも続いておりますが、
とりあえず、私が読みたかったのはここまで。

序をひらくと、こうはじまっておりました。

「わたしたちは、・・・
 きれいにすきとおった風をたべ、
 桃いろのうつくしい朝の光をのむことができます。

 ・・・・
 これらのわたくしのおはなしは、
 みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
 虹や月あかりからもらってきたのです。  」


ちょっと思うのですが、林や野はらはわかるのですが、ここで
どうして鉄道線路なのだろう?鉄道ファンの『鉄ちゃん』だから?
まあ、それはそうとして、序からの引用をつづけます。

「 ですから、これらのなかには、
  あなたのためになるところもあるでしょうし、
  ただそれっきりのところもあるでしょうが、

  わたくしには、そのみわけがよくつきません。

  なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
  そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。 」

はい。つぎは、この序文の最後になります。

「 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
  おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
  どんなにねがうかわかりません。

       大正12年12月20日    宮沢賢治         」


こんな序文があったなんてね。さて、この序文をどう読めばよいのか?
この新潮文庫の最後の方には、井上ひさし氏の6ページほどの文があり、
そのはじまりは、こうありました。

「 宮澤賢治の『正しい読み方』、あるいは『正義の鑑賞法』など
  あろうはずがない。読者はそれぞれ自分の背丈に合わせて、

  この稀有の詩人にして世にも珍しい物語作家の創ってくれた
  世界で、たのしく遊べば、それでいい。

  解説は、だから、これでおしまい。これから書くことなどは、
  蛇足も蛇足、蛇の足の先の、爪の垢同然の、余計な付足しである。 」

こうして
「 つめくさはマメ科の多年草でずいぶん根が長い。・・・ 」
話しをはじめ、その長い根にひっかかるように宮澤賢治が浮かびあがります。


うん。新潮文庫の序と、解説とを引用しただけで、満腹感。





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そぎ落とされた言葉の情報。

2023-07-07 | 前書・後書。
はい。まえがきと、あとがきと、それしか読んでこなかった
私みたいな者には、その箇所が充実した要約だったり、
問題提起だったりするのは、なんだか得した気分になります。

古本で、山極寿一の本が安かったので購入。
『はじめに』だけを読むのでした(笑)。

「 今、わたしたちの暮らしはとてもいそがしくなっている。
  それは世の中にたくさんの情報があふれていて、それを
  取り込もうとして人々がいつもスマホやインターネットに
  向かい合っているからだ。

  まるで人とつきあうことはそっちのけで、
  スマホばかりつきあっているように見える。

  でも、たくさんの情報を集めても、
  たくさんの人と仲よくなれるわけではない。

  むしろ、まだ顔も知らない人から相談をもちかけられたり、
  いろんな誘いがあったりして、目の前のことができなくなる。

  さまざまな情報が乱れ飛ぶので、なにを信用していいかわからなくなり、
  不安にかられる。知らない人からやっていることを非難されたり、
  自分の行動をどこかでだれかが見ているような気がして不安になり、
  落ち着かなくなる。

  ・・・・情報は変わらないけれど、生き物はつねに成長して
  変わっていく。今日の自分は昨日の自分ではないし、
  明日もちがった自分になるはずだ。好みも変わるし、
  友達との関係も変わる。そのなかで、自分というものを
  保ち続けるのはなかなか難しいことなのだ・・・・    」

すこし飛ばして、そのあとにこんな箇所がありました。

「 言葉は世界で起こるいろいろな出来事を抽象化し、
  簡潔に伝えるための道具だ。・・・・

  でも、言葉は情報にはならないものをたくさんそぎ落としている。

  たとえば、怒りや悲しみにはいくつもの種類や程度の差があるのに、
  それは言葉ではなかなか表現できない。

  怒っているように見えても、
  ほんとうはだれかに助けてもらいたがっていたり、
  けんか腰に見えても仲直りしたがっているような態度は、
  その場に居合わせなければ理解することが難しい。

  しかも、人間は人間だけで暮らしているわけではない。
  虫や鳥や動物と、植物とだってさまざまにつきあいながら
  日々の暮らしを豊かにしている。

  言葉を使わずに、イヌやネコと、ときには
  植木鉢の花と会話することもある。
  それはたがいに生き物だからこそ、感じ合うことのできる
  コミュニケーションなのである。

  そして、人間が自分を他人の反応によって自覚するように、人間は
  ほかの生き物の反応によっても人間であることを意識できるのだ。

  とくに、人間とはいったい何者であるかを知るためには、
  人間以外の生き物とつきあってみる必要がある。

  ネコを定義するためにはネコ以外の動物を知らなけらばならないように、
  人間を定義するためには人間との境界域にいる動物を知ることが
  不可欠になる。

  そこでわたしは、ゴリラの国に留学することにした。・・・   」


はい。本文は、そのゴリラのお話になっているようですが未読。

山極寿一著「人生で大事なことはみんなゴリラから教わった」(家の光協会)



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Hanada8月号

2023-06-27 | 前書・後書。
月刊Hanada8月号「安倍晋三元総理一周忌大特集号」。
最後のページ下の「編集長から」に

「 この一年、安倍総理のこと思わない日はありませんでした・・・
  編集しながら、改めて、いろいろなことを思い出してしまう。・・ 」

はい。特集を組んでいただき、ありがとうございます。
私のように、すぐに忘れてしまう者には有難いかぎり。

ここでは、巻頭随筆を紹介。
渡辺利夫の巻頭随筆「新・瘦我慢の説」、
この回は、朝鮮への言及でした。

①イザベラ・バード『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』講談社学術文庫
②グレゴリー・ヘンダーソン『朝鮮の政治社会―渦巻構造の分析』サイマル出版社
③シャルル・ダレ『朝鮮事情』平凡社東洋文庫

の3冊の引用を重ねながらすすめております。
とりあえず、3冊からの引用のあとに、渡辺氏はこう記します。

「政治文化の伝統という拘束からみずからを解き放つというのは、
 そう簡単なことではない。1948年に独立した国家が大韓民国である・・

 この国の・・荒々しい権力抗争は、
 李朝時代のそれを彷彿させるようになお激しい。
 歴代大統領の末路は、日本などでは想像さえできないほどの悲惨さである。

 李承晩(イスンマン)は失脚して亡命先のハワイで客死。
 朴正煕(パクチョンヒ)は側近により暗殺、
 全斗煥(チョンドウファン)は反乱事件の首謀者として死刑判決、
 盧泰愚(ノテウ)は懲役十七年、
 廬武鉉(ノムヒョン)は投身自殺、
 李明博(イミヨンパク)は懲役十七年、
 朴槿恵(パククネ)は弾劾を受けて大統領を追われた・・・ 」

「 ・・・左派エリートたちは、
  韓国は『間違って作られた国』だと考えていると
  李栄薫(イヨンフン)は『反日種族主義―日韓危機の根源』
  のなかで指摘している。そうに違いない。

 『過去史清算』とか『積弊清算』とかいう物言いは、そういう
 彼らのセンチメントを政治用語化したものなのであろう。・・・   」

ちなみに、巻末随筆はというと平川祐弘氏の「詩を読んで史を語る」
こちらの連載は、もう14回目です。


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文庫版とワイド版

2023-06-22 | 前書・後書。
司馬遼太郎著『街道をゆく』の「モンゴル紀行」と「南蛮のみち」を
古本で注文してあったのが届く。

はい。『街道をゆく』は古本で、本のサイズが選べるのがうれしい。
単行本と文庫本と文庫本のワイド版とがあり。私はワイド版を選ぶ
( なんだか、岩波文庫のワイド版が思い浮かぶのでした )。

うん。買うとほっとして読まないことがある私です。
とりあえず「南蛮のみち🈩」をパラリとひらく。
パリからはじまっているようです。

「 彼女が案内してくれた小ぶりなレストランは、
  ホテルから徒歩で十数分の街角にあった。・・・

  私はむかしから食事量がすくない。
  それに未経験の食べものへの冒険心にとぼしいために、
  同席者に快感をあたえることができない。

  せっかくパリにきてステーキでもないのだが、
  ともかくもその小ぶりなのを注文した。

  この短(たん)を、須田画伯がつねにうずめてくれた。
  この夜も時差や旅の疲れというものは画伯の食欲には無縁らしく、
  おどろくばかりの多い量の食物を、みなが食前酒を飲みきらないうち
  たいらげてしまった。

  もっとも自己についての認識は詩的で、
  極端に食が細いと信じておられ、
  そうでもないですよ、といったりすると、
  犬が噛みつくような勢いで否定される。・・・  」(p12)

はい。須田画伯がゆく。
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オノマトペからの眺望。

2023-06-20 | 前書・後書。
オノマトペといえば、私に思い浮かぶのが
山口仲美編「暮らしのことば擬音擬態語辞典」(講談社・2003年)なのですが、
ここに擬音語擬態語に、新しい眺望がひらける本が出ておりました。

今井むつみ・秋田喜美著「言語の本質」(中公新書・2023年)
副題が「ことばはどう生まれ、進化したか」。

言語と身体の関わりについての着眼点を『記号接地問題』として
本書ではとらえられているようです。

「 オノマトペ? そう、『げらげら』とか『ふわふわ』とか、
  日本人の生活になくてはならない、あのコトバである。

  実は、『オノマトペ』は今、世界的に注目されている。

  それも『ちょっと変わったおもしろいコトバ』としてではない。
  言語の起源と言語の習得の謎を明らかにする上で大事なコトバ、
  『言語とは何か』という哲学的大問題を考える上で
  大事な材料として脚光を浴びているのである。・・・・・・

  ・・秋田(喜美)は、・・一貫して、他言語との比較や
  言語理論を用いた考察により、オノマトペがいかに言語的な
  特徴を持つことばであるかを考えてきた。

  ・・今井(むつみ)は認知科学、発達心理学の立場から、
  言語と身体の関わり、とくに音と意味のつながりが
  言語の発達にどのような役割を果たすのかという問題に興味を持ち・・

   二人でオノマトペ談義をしていると、いつも最後は
  『オノマトペとは』ではなく、『言語とは』という問題に
  話が跳んでしまうことに、あるとき気がついた。・・    」
               ( 「はじめに」から )


そういえば、とあらためて思い浮かんでくるのは、
山口仲美氏が2014年に「大学教授がガンになってわかったこと」
(幻冬社新書)を出版されていたことでした。

   

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うれしいのは。

2023-03-20 | 前書・後書。
うれしいのは、いつかは読もうと積んであった本が読み頃をむかえた時。
はい。今回は「丸山薫全集」全5巻(角川書店・1976~1977年)でした。
ちょうど手を伸ばせばそこにあったわけで横着者には願ったり叶ったり。

この全集の編集には5名の名前がありました。
桑原武夫・井上靖・吉村正一郎・竹中郁・八木憲爾。

全集1の解説は、竹中郁。
全集2の解説が、井上靖。
全集3の解説が、竹中郁。
全集4の解説、杉浦明平。
全集5の解説、八木憲爾。

はい。お気楽に、全集各巻の解説を読めれば私は満足。
たとえば、全集の1と3の解説は、同じく竹中郁でした。
同じ人の解説でも内容は別。全集3竹中郁解説を引用。

文中『昭和20年の敗戦』とはじまる箇所がありました。


「・・大正中期に精彩を放ったリベラリズムの影響下に
 かずかずの子供向けの雑誌が出たように、戦後の物の乏しさにもめげず、
 『赤とんぼ』『銀河』『世界の子供』『子供の広場』『ぎんの鈴』など
 というのが相当規模出版社から創刊されていった。

 わたくしもその列に加わるような形で『きりん』というのを創刊した。
 大正も、昭和の第二次世界大戦直後の勃興とよく似ている。つまり

 戦争という暗雲の下では子供への配慮とか愛情とかは、逼塞しがちで、
 その雲の晴れるや、人間は未来を託すべき小さい者たちへの
 責任にめざめるものらしい。・・・ 」(p554)


「子供に読ませるものを書くには、子供にわかるボキャブラリーの範囲内で
 書かねばならない。得意の機転のきいたメタファもそうそうは使えない。
 そんな拘束は、いちど子供向けのものを書いたものなら、
 誰しもがすぐ感じることである。・・ 」(p555)


うん。この竹中郁氏の解説は豊かな内容を含んでいるので
安易に断片引用だけするのは申し訳ないのですが、ここは、
私の楽しみで読み進んでいて、手にした箇所を最後に引用。

「そんな成熟の裏打ちするかのように、丸山には子供の原初的な体験と
 同じような発見やそれに伴う驚きや不審を感じるアンテナがあった。
  ・・・・
 成熟ということにはいつも率直素朴であることこそ必須なものである。

 ・・・丸山はこの大条件をみたすものを一生を通じてもっていた。
 それならこそ、他の同時代の詩人とは離れた場所であざやかに
 そびえる城をのこして逝ったのではないか。

 長い年月、しかもこの巻の示すような多様な要請に応じて執筆した作品群に、
 どこといって、先人の俤(おもかげ)や西欧の詩の影響らしいところが
 見えないのは、一にかかって丸山の個性が強固だったことにある。
 もう一つは丸山の潔癖だったことに依る。

 この巻(第3巻)の全体を通じての表情に統一感があるとすれば、
 この二つの点がその作用の原動力となっていたのであろう。 」(p560)


はい。引用のとりこぼしは、あれこれとあれども、
未読本をこうして読み始められたことのうれしさ。
引用が、私と共にどなたかの役に立ちますように。



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昭和23年少年少女諸君。

2023-03-14 | 前書・後書。
うちの子供が、小学校の頃に、
学校では詩の副読本が使われてました。
それは、本屋にはなかったと思います。
その中に丸山薫の詩「唱歌」があった。

その詩「唱歌」が気なってました。丸山薫の古本を購入。
「丸山薫全集」全5冊揃い。1150円+送料650円=1800円。
はい。一冊が360円なら安いと思って5年前に買ってあり、
そのまま、本棚にねむっておりました。

そろそろ、読み頃ですよ、と背中を押されます。

童詩雑誌の『きりん』は、昭和23年2月が創刊号でした。
丸山薫著少年少女詩集『青い黒板』は昭和23年5月発行。
「丸山薫全集 2」でその詩集を見ることができました。

はい。詩「唱歌」を引用したいのですが、
まずはこの詩集のあとがきを引用してみます。

「★ この詩集は、だいたい小学五六年生の諸君を目標にして作ったのです。

 ★ けれど、詩の中で使っている言いまわしや漢字は、きびしく言って
   必ずしも五六年生程度のものかどうかは、わかりません。

   言いまわしについては、それがいちばん正直な詩の言い方ですと、
   言っておきましょう。文字は成るべく假名にしましたが、
   紛らわしかったり、それではどうしても気もちが出ないと
   思われるものには、漢字を使いました。

   ・・・・

 ★ どれも方々の少年少女の雑誌にたのまれて書いていったものです。
   ・・・・これを本にするのは諸君にまとめて読んでもらって、

  『 詩をつくる人のこころは物事のすべてをどういうふうに
    感じてくらしているか、また、詩はどんなにたのしく、
    つくる人とよむ人のこころをなぐさめて元気づけるものか 』

   ということを、つよくふかくわかってもらいたいためです。

 ★ ただ、私がこの二年間、東北地方の山の村に住んでいるために、
   詩にも北の山國の子供たちのくらしや感じ方が多く入りまじった
   ことは、ここで、日本中の諸君におことわりしておきましょう。

 ★ また、この詩集中の『唱歌』という作品は、こんど
   小學第五學年生の國語教科書にのせられることになりました。・・


はい。詩には、それなりの時代や背景があって成り立つことを
こうして全集をひらくと教えられることになりました。

それでは、お待ちかね、詩『唱歌』


       唱歌      丸山薫

    先生がオルガンを
    おひきになると
    オルガンのキイから
    紅い
    青い
    金色の
    ちがつた形の小鳥が
    はばたいて出て
    くるくる
    ぼくたちの頭の上を
    まわりはじめた

    教室の 高いところの
    窓ガラスが一枚 こわれていて
    やがて 小鳥たちは
    そこから
    遠い空へ逃げていつた


この全集2には、最後に編注がありました。そこからも引用。

「 著者の自作解説―――

 『・・・・・生まれかわる日本は、なによりもさきに、
  小学校の教室から、芽ばえようとしています。
  いまはたのしい音楽の時間です。みんな耳をすまし、ひとみをかがやかせて、
  新しくおぼえる歌の譜をきいています。
  先生がオルガンをおひきになります。オルガンからは、
  美しいやわらかな音が、つぎつぎに流れ出ます。
  ねいろはまるで、五線の間をはばたく小鳥のように、
  いく羽もいく羽もとびたちます。

  それはまるで、ゆめのように、てんじょうを見つめている
  ぼくたちの頭の上を、くるくるまわるようです。

  ああ、楽しい時間、楽しい教室――
  おや、あんなところのまどガラスが、一枚まだこわれたままだっけ!

  私はこの詩を、終戦後の二年間、山形県の山おくの小学校で、
  先生をしながら書きました。詩の中には、まあざっと、
  いま書いたような感じがふくまれています。

  みなさんたちが読んで、
  そこまではっきりとわかってくださらなくてもよろしい。

  ただ音楽を形にあらわせば、
  ――こんなにもいえるということ――
  それから、おわりのほうの、
 『 窓ガラスが一枚こわれていて 』の行で、
  いまのみなさんたちの教室のようすを、
  ――また、その窓からみえる『遠い空へ』で、みらいの希望を――
  この三つのことばをぼんやりとでも、感じてくださればいいのです。 」
      ( 『小学五年の学習』昭和23年9月号 )



よくばって、最後に、詩集の『 はしがき 』を全文引用。


「  はしがき
 
  詩をむつかしくてわからないという人がいる。
  詩はむつかしいだろうか。詩はむつかしくない。
  むつかしいという人は、詩のおもしろさをかんじない人だ。

  詩は理屈ではない。理屈の説明でもない。
  そんなものをとびこえて、いちはやく、
  もののほんとうの姿とこころを感じ知ることなのだ。

  詩が夢のようだという人は、夢のようなことに酔い、
  夢のようなことしか考えない人だろう。

  詩はゆめであるが、寝ていて見る夢ではない。
  いちばん正しい、すばやいこころである。
  賢く美しい翼のある考のはたらきである。

  子供たちのこころはアンテナである。
  アンテナは塵も埃もない未来の青空にむかって、
  自在に張りめぐらされている。
  宇宙からとんでくる眼に見えない真理をとらえようと、
  ピチピチふるえて待ちかまえている。
  真理がとんでくる。電波のように――。
  それをかんじて言いあらわす。

  少年少女諸君。詩人は君たちの友だちだ。諸君も詩人である。

               昭和23年1月           」
 

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書かなくてもかまいません。

2023-03-10 | 前書・後書。
大村はまが、教室で授業の終りに語った言葉を、
中学生の苅谷夏子が忘れずに残してくれてます。

「 はい、そこまででやめましょう。今考えた文章は、
  書きたかったら書いてみればいいでしょうが、
  書かなくてもかまいません。
  構成を考えたメモだけは、しっかり
  学習記録に入れておきなさい。    」

         ( p51 「教えることの復権」ちくま新書 )

『 書かなくてもかまいません 』の言葉が忘れがたい。
そのことと、関連づけて井上靖を取りあげたくなります。

函入り単行本の「井上靖全詩集」(新潮社・昭和54年)には、
詩集にある各詩の発表誌紙一覧があります。まずはそこから。

 詩集『北国』(昭和33年3月、東京創元社)。
 その最初の6篇は昭和23年に雑誌に掲載されておりました。
 詩は、「人生」「猟銃」「海辺」「北国」「愛情」「葡萄畠」。

 その次の11篇が昭和22年に雑誌掲載。さらに7篇が昭和21年・・。
 そんな感じで一冊の詩集がまとめられて、成り立っておりました。
 そこで、全詩集の最後に「『北国』あとがき 」が載っています。

( 単行本ではp454~461。新潮文庫ではp244~250どちらでも読めます )


今回。私が注目したいのは、このあとがき。
詩集の数式を解くための、謎解きの鍵が隠れているような手ごたえ。
ということで、『あとがき』を紹介してみます。

『北国』に掲載された詩について、以前をふりかえっておられます。

「それから、もう一度『婦人画報』へ『井上靖詩ノート』と題して
 二十篇ほどの作品を掲載したことがある。・・・」

このノートを、さらに井上氏は語っております。

「私はこんど改めてノートを読み返してみて、
 自分の作品が詩というより、詩を逃げないように
 閉じ込めてある小さな箱のような気がした。

 これらの文章を書かなかったら、とうにこれらの詩は、
 私の手許から飛び去って行方も知らなくなっていたに違いない。

 ・・・・そういう意味では、私にとっては、これらの文章は、
 詩というより、非常に便利調法な詩の保存器で・・覚え書きである。 」


うん。よく井上靖の詩は、散文詩に分類されているようなのですが、
 『 詩を逃げないように閉じ込めてある小さな箱のような 』
というイメージのほうが、私にはしっくりと理解できる気がします。

箱といえば、サン・テグジュペリの『星の王子さま』(内藤濯訳)の
この箇所が私には、思い浮かんできてしまいます。
大村はま先生なら『重ね読み』ということになるのでしょうか。

忙しいぼくが、ぼっちゃん(王子さま)に、
ヒツジを描いてとお願いされます。何回か
さっさと描いても許してくれず、さいごに、
『大ざっぱ』な絵を書き見せる場面でした。

「 『こいつぁ箱だよ。あんたのほしいヒツジ、その中にいるよ』
  ぶっきらぼうにそういいましたが、見ると、ぼっちゃんの顔が、
  ぱっと明るくなったので、ぼくは、ひどくめんくらいました。 」


そうそう『詩を逃げないように閉じ込めてある小さな箱』を
井上靖氏はつくりあげていたのですが、同時に詩人に対する
イメージも「『北国』あとがき」に書いてくれておりました。

その箇所を引用しておかなければ

「 私は自分の周囲に何人かの尊敬している詩人を持っているが、
  尊敬しているのは、彼等が作った何篇かの、
  自分も理解できた秀れた少数の作品のためである。
  自分に理解できない、また自分に無縁な作品というものは、
  そうした尊敬している詩人の詩集の中にもたくさんある。  」


はい。この尊敬する詩人のなかに、竹中郁もはいっているのだろうなあ。
星の王子さまが、ヒツジの絵を描いてもらいながら描き直しを迫るような
そんな箇所も、あとがきにはありました。

「 詩の座談会に行って殆ど例外なく感ずることは、
  出席者の数だけの全く異なった言葉が、お互いに
  無関係に飛び交うていることである。

  自分の言葉も他人に依って理解されないし、
  他人の言葉も自分にはそのまま理解できない。
  お互いの言葉はそれぞれ相手には受け留められないで、
  各自のところへ戻って行く。 ・・・          」



私は思うのですが、『 井上靖詩ノート 』というのは、そして、
『 詩を逃げないように閉じ込めてある小さな箱 』というのは、
いったい何なのか?

降りそそぐような、疑問のなかで、
大村はま先生の言葉が聞こえます。


「 はい、そこまででやめましょう。今考えた文章は、
  書きたかったら書いてみればいいでしょうが、
  書かなくてもかまいません。
  構成を考えたメモだけは、しっかり学習記録に入れておきなさい。 」

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『 はじめに 』の効用。

2023-02-18 | 前書・後書。
大村はま・安野光雅対談に

大村】 ・・・いろいろの読書論をみんなで読みました。
    ・・・梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』も
      『図書』に出て、とにかく、いろいろな
      読書論を読んで話し合っていたんです。

   (  p207 大村はま著「心のパン屋さん」筑摩書房・1999年 )

ここに、岩波書店の月刊雑誌『図書』に
梅棹忠夫氏が載せた文の言及があります。
岩波新書の『知的生産の技術』と言ってない。

まあ、それやこれやで、講談社文庫の
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」を古本で購入。
さっそく、その文庫をひらいてみると、あらたに一章
『もうひとつのエピローグ』が付けくわえられてます。

はい。こちらも、引用しておかなくては。
その一章は「文庫版への補章」と副題で、
まずは、はじまりを引用。

「『知的生産者たちの現場』の初版が出たのは
 1984年2月のことである。あれから、すでに
 3年あまりの歳月が経過した。・・・」

はい。ここだけは引用しておきたいという箇所。

「この本(知的生産の技術)の真髄は、『はじめに』の章にある、
 とわたしはおもっている。出だしから、本質にふれることが、のべられている。」
                ( p285 )

「 ワープロ操作のことでいきづまると、その都度、
  取扱説明書の指示にしたがって、解決をはかる。

  おなじように、書いている内容や書き方のほうで
  迷いが生じたら、そのときはまず
 『知的生産の技術』(岩波新書)を、ひもとく。

 この本は、原稿作成のためのマニュアルの役割を
 はたしてくれるからだ。しかし、それだけではない。・・・ 」(p285)


「 梅棹先生との出会いは、
  わたしの生きかたまで、
  かえてしまったのである。 」(p286)


うん。この文庫を読んでいただけばよいのでしょうが、
そうそう、古本を買わないでしょうから、あと一箇所。
それはB6カードに触れている箇所。

「 この作業は、頭のなかにある思いや考えを、
  ことばになおす第一段階である。

  手ごたえがあって、これはいける、とおもったら、
  それらのことばが逃げないうちに、すばやくつかまえ、

  B6カードでもなんでもいいから、かきつけてしまう。
  
  ・・・・わたしの場合は・・ばらばらのまま、順不同で出てくるので、
  あとでそれをならべかえる必要がある。B6カードにかいてあると、

  この作業が、きわめてやりやすくなる。
  思いついたことは、宙でやりくりするより、
  目のまえで、手をつかって入れかえるほうが、
  それこそ、手ごたえがあって、
  われながら仕事をしている、という実感がわいてくる。 」(p296)


はい。同じ本であっても、単行本と文庫本では、
多少の違いがあることがあります。そこが魅力。

  
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ひとかかえもある。

2022-12-19 | 前書・後書。
『大村はま国語教室』(筑摩書房)の全21冊。
古本で購入したのが10月下旬。そのままで今年も終わりそう。

かくなるうえは、数冊に絞って読み、来年につなげよう。
ということで、指し示してくれる箇所に注目することに。

「大村はま国語教室」第11巻をひらく。この巻の内容は、
 解説(倉沢栄吉)のはじまりに示されておりました。

「 本巻は昭和31年から20年以上にわたる
  講演記録の中から精選された講演集である。・・ 」(p375)

解説の最後には、こうあったのです。

「 ・・本巻は前にも述べたように、
  第一巻、第十三巻などと響き合って、著者の実践的精髄を、
  具体的に凝縮したものとすることができよう。      」 (p382)

それでは、『具体的な凝縮』とはなんなのか?

第11巻の月報のはじまりは石森伸男さん。
その題は「『大村はま国語教室』を読む人たちに」。
この題は、全集を読まない私に語りかけるようです。
石森氏の、月報の言葉を引用。

「 終戦後まもなく、国語の指導要領を編集したときから、
  大村さんと話をするようになった。

  実際教育の話などを始めると、とかく話が固くなって狭くなる。
  具体的にならずに、抽象的になりやすい。まとまらずに、

  各人各様の考えだけが打ち出されるきらいがある。
  わたしはそれがきらいで、何とかしてもっと拡げたいし、
  おもしろく個性的であるように工夫して語る。

  特に、国語教育の場合には、この願いをいつも心の奥に持っていた。
  大村さんに出合ってから、始めてこの願いが達せられた。

  その時の喜びと望みとは、今も忘れずにいる。・・・・

  大村さんの研究授業には、できるだけ出席することにした。
  すると、その研究の資料、教材はいうまでもなく、
  その指導書、その参考資料などが謄写版に刷られて、
  ひとかかえもあるほど手わたされた。

  これは、大村さんがひとりで書き、ひとりで印刷し、
  ひとりでまとめたものである。それが研究授業の度のこと・・
  持ち帰って読み通すことも大変なことであった。

  わたしの言いたいことは、まだこの他にもある。・・・・   」


さてっと、全集の中の三冊。
パラパラでも、ひらきたい。
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