「私はテレビを持っていません。」というのは、エドワード・サンデンステッカーさん。
こういう少数者は、現在ではイザ捜そうとすると見つけ出せない、貴重な人種。
そういう少数者は同属に敏感なのでしょうね。
では、サンデンステッカーさんの言葉。
「私はテレビを持っていません。長い間、東京という大きな街でテレビも冷房もないのは私一人ではないかと思っていました。しかし新聞によりますと、秋篠宮妃殿下のお父さんも、テレビも冷房もない暮らしをしているということでした。『でした』ということは、今はもう持っているかもしれません、あれだけ偉い方になったからテレビや冷房がないはずはないです。とにかく私一人だと思っていたんです。テレビや冷房は、便利どころではなく、私にとっては非常に不便なものになっています。」
これは「日本文化へのまなざし 司馬遼太郎記念講演会より」(河出書房新社・2004年初版)にあった言葉です。
ところで、今年出た本に池内恵著「書物の運命」(文藝春秋)がありました。
そのはじまりの文に
「なにしろ生家にはテレビがなかった。父が『ドイツ文学者』なるものをやっていて、しかもかなり頑固だったので家にテレビを置かないというのである。1960年代半ば、高度経済成長の真っ只中に人々が求めたのは『3C』すなわち『カー、クーラー、カラーテレビ』だったそうだから、私の場合、家庭内の環境としては『戦後すぐ』に等しかったことになる。・・・・
私は1973年生まれで、まともな家庭に育っていれば日本アニメの全盛時代を体験したはずである。・・恥かしい話だが、私自身が初めて毎日の生活の中にテレビがある暮らしをするようになったのは、20代半ばに資料集めのためにエジプトのカイロに居を構えた時である。・・・・」
そして、貴重な証言
「思い返すと、小・中学生のころは学校に行って同級生の発言が聞き取れないということは当たり前だった。この年頃の会話からテレビに関する固有名詞を抜いたら、ほとんど残らない。・・・
そもそも子供同士の挨拶で『おはようございます』とは言わない。例えば朝、顔を合わせて最初の一声が『「いいとも」見た?』であったりする。要するに『あなたは日曜日、昼のテレビ番組「笑っていいとも!」を見ましたか?』という意味だが、もちろん見たか見ていないかを聞きたいのではなく、挨拶の代わりである。しかしこちらとしては最初はこれがまったく謎の単語となる。日本語はしゃべれるが共通の話題についていけない帰国子女と同様、あるいは日本語を学習してきたものの俗語・会話の聞き取りに苦労する留学生のような状態である。」
この文のあとに秋篠宮妃が、登場します。
「ここまで完全にテレビを見ずに育った同類には今まで出会ったことがない。
ただ一人、秋篠宮親王が結婚するときに、お相手は大学の先生の娘で、家にテレビを置かない生活をしてきた、という話を読んだことがある。知る限り、これが私以外の唯一の例である。」
この種族を探すのには、とても大変そうですね。
せっかくテレビを見ていなくとも、
後でテレビを置いて、消滅しているかもしれないわけです。
すくなくとも三人。
エドワード・サンデンステッカーさん。
池内恵のお父さん。
秋篠宮妃殿下のお父さん(この方は、ちょいと現在はどうでしょう)。
テレビのウイルスに犯されない人種がこの世に存在しているようです。
ちなみに、サンデンステッカーさんの講演の題は「文学はあと一世紀もつか」でした。
こういう少数者は、現在ではイザ捜そうとすると見つけ出せない、貴重な人種。
そういう少数者は同属に敏感なのでしょうね。
では、サンデンステッカーさんの言葉。
「私はテレビを持っていません。長い間、東京という大きな街でテレビも冷房もないのは私一人ではないかと思っていました。しかし新聞によりますと、秋篠宮妃殿下のお父さんも、テレビも冷房もない暮らしをしているということでした。『でした』ということは、今はもう持っているかもしれません、あれだけ偉い方になったからテレビや冷房がないはずはないです。とにかく私一人だと思っていたんです。テレビや冷房は、便利どころではなく、私にとっては非常に不便なものになっています。」
これは「日本文化へのまなざし 司馬遼太郎記念講演会より」(河出書房新社・2004年初版)にあった言葉です。
ところで、今年出た本に池内恵著「書物の運命」(文藝春秋)がありました。
そのはじまりの文に
「なにしろ生家にはテレビがなかった。父が『ドイツ文学者』なるものをやっていて、しかもかなり頑固だったので家にテレビを置かないというのである。1960年代半ば、高度経済成長の真っ只中に人々が求めたのは『3C』すなわち『カー、クーラー、カラーテレビ』だったそうだから、私の場合、家庭内の環境としては『戦後すぐ』に等しかったことになる。・・・・
私は1973年生まれで、まともな家庭に育っていれば日本アニメの全盛時代を体験したはずである。・・恥かしい話だが、私自身が初めて毎日の生活の中にテレビがある暮らしをするようになったのは、20代半ばに資料集めのためにエジプトのカイロに居を構えた時である。・・・・」
そして、貴重な証言
「思い返すと、小・中学生のころは学校に行って同級生の発言が聞き取れないということは当たり前だった。この年頃の会話からテレビに関する固有名詞を抜いたら、ほとんど残らない。・・・
そもそも子供同士の挨拶で『おはようございます』とは言わない。例えば朝、顔を合わせて最初の一声が『「いいとも」見た?』であったりする。要するに『あなたは日曜日、昼のテレビ番組「笑っていいとも!」を見ましたか?』という意味だが、もちろん見たか見ていないかを聞きたいのではなく、挨拶の代わりである。しかしこちらとしては最初はこれがまったく謎の単語となる。日本語はしゃべれるが共通の話題についていけない帰国子女と同様、あるいは日本語を学習してきたものの俗語・会話の聞き取りに苦労する留学生のような状態である。」
この文のあとに秋篠宮妃が、登場します。
「ここまで完全にテレビを見ずに育った同類には今まで出会ったことがない。
ただ一人、秋篠宮親王が結婚するときに、お相手は大学の先生の娘で、家にテレビを置かない生活をしてきた、という話を読んだことがある。知る限り、これが私以外の唯一の例である。」
この種族を探すのには、とても大変そうですね。
せっかくテレビを見ていなくとも、
後でテレビを置いて、消滅しているかもしれないわけです。
すくなくとも三人。
エドワード・サンデンステッカーさん。
池内恵のお父さん。
秋篠宮妃殿下のお父さん(この方は、ちょいと現在はどうでしょう)。
テレビのウイルスに犯されない人種がこの世に存在しているようです。
ちなみに、サンデンステッカーさんの講演の題は「文学はあと一世紀もつか」でした。