和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

キーンさんの楽観。

2006-12-17 | Weblog
ドナルド・キーン氏の新聞連載が最終回。
読売に週一回連載の「私と20世紀のクロニクル」が12月16日で最終回。
それは、こうはじまっておりました。
「私の友人の何人かを襲った『ぼけ』が、私を不意に襲うのではないかという不安が頭をかすめることは確かにある。親しい友人の眼を見つめていて、そこに何の手応えも感じられないということほど悲痛なことはない。・・」
最終回は題して「八十四歳、『老齢』を楽観する」。
挿画の山口晃さんといったら、貧乏神ならぬ、ボケの神を描いて秀逸。
そのボケ神が左手で人間の後頭部を押え、右手はといえば、先端にボケの霞みか雲かと思うような綿がついた棒をふりあげて、今にも、ボケを頭にくらわせようとしているのでした。手前には、その棒で叩かれたような、髪がみだれ目は焦点があわないボケの症状をしめした人が固まった表情をしております。そのボケ神の様子はといえば、頭にサンタクロースの帽子をかぶりメガネを長い鼻にひっかけ、あごひげをはやして、マフラーを前にたらし、痩せこけた体に端々がボロボロの服をまとっております。まるで貧乏神に赤い帽子をかぶらせたような恰好。
もうひとつ大きく別に描かれているのは、
雑然とした書斎の椅子に、キーン氏らしき人物が座り、その机周りや、壁・本棚を山口晃さんが好き勝手なガラクタのお宝を並べて滑稽。まるで島田ゆか著「バムとケロ」シリーズの一ページを開いているような雑多な描き込みです。
さてキーンさんの本文は、こう続きます。
「・・・しかしそんな時私は、非常に老齢であるにもかかわらず次々と新しい作品を産み出していた人々のことを考える。ヴェルディは、八十歳を前にして、『ファルスタッフ』を作曲したのだった。北斎は九十歳になるまで、画を描き続けた。私は野上彌生子が九十代のときに二回対談したことがあるが、彼女はほぼ百歳で小説を書いたのだった。私も彼らのように幸福なら、あるいは正気を保っていられるかもしれない。」
そういえば、前回(12月9日)の連載の最後はというと、
「すでに私は新しい本の仕事に取り掛かっていて、何とかそれを完成させるとしたら少なくとも五年はかかりそうである。この本を書くのは、さぞ楽しいことだろうと思う。椰子の木陰に座って海を眺めながら、片手にラムの一杯がある――なんてことを、私はこれっぽっちもしたいとは思わない。」


しばらくしてから思い浮かんだのですが、ドナルド・キーン氏との鼎談に「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」(岩波書店・2004年)というのがありました。他の二人はというと鶴見俊輔・瀬戸内寂聴。帯には「はじめて実現した81歳トリオの鼎談」とあります。
そこに、こんな箇所がありました。
鶴見さんが野上彌生子さんの話をして「・・・だから『迷路』は面白いです。あれは、夏目漱石の精神を現代に生かした偉大な小説です」と語ると、それをうけてキーンさんが「私は二回、野上さんと対談したことがあります。二回とも九十歳以上でした。そのとき、私は生れて初めて、九十歳以上の人と言葉を交わしました。そして、一回目は大変面白かったです。私にとっては、笑ったらいいのか、泣いたらいいかわからないような話でした。たとえば、芥川龍之介の話をするときに、『あの若い人が・・』と(笑)。また、夏目漱石の話をするときには、夏目漱石の謡の稽古の真似をしていました。聞いていると、まったくヤギのようで、『メェー~』というような音を出していました(笑)。
本当に数々の面白い話を聞かせていただきました。とくに、お能の話は多かったですね。そして、私に、お能の中でいちばん好きなのは何かとおっしゃるので、私が『松風』だと言うと、自分は『西行桜』のほうがいいと思うと言って、いろいろ説明してくれました。『この人と、お能の話をしていたら、どんなに素晴らしいだろう。いろいろ勉強になるだろうな』と思って、本当に楽しかったです。また、そういう一方で人の悪口をいっぱい言っていました。あらゆる人の悪口を。しかし、これが二回目はぜんぜん違っていました。九十九歳で、お亡くなりになる直前だったでしょうか。・・このときの話は、繰り返しばかりで面白くなかったですね。
しかし、私は、二回お目にかかったことを大変うれしく思います。また私も、鶴見さんと同じように『迷路』を大変高く評価しています。立派な小説です。・・・お能に対する愛着も非常によく出ています。戦時中に、爆弾が落ちているときに、『能面と一緒に死にたい』という人がいた、と。そういう気持ちを、私はわかるような気がしました。」
それを受けて鶴見さんは
「それなんですよね。」
「・・・『あなたなんかは、能の名手なんでしょう?ノアの方舟があったら、方舟に乗るべき人なんだ』というところがある。・・それを聞いて、『アッ』と驚いた。つまり、中日戦争のときに書き始めたんですが、そのときには、知的な小説を書く漱石の趣があって書き始めたんです。だから、英文学を非常に読んでいるでしょう。ところが、戦争中に、能の名人を自宅のそばに招いていて、そのリズムが、ほとんど二十年の修練を経て筆まで入ってきているんだ。だから、能のリズムが『迷路』の終わりには出るんです。戦争の終わりに際して、そして人生の終わりに際して。だから『すごい!』と思ったね。・・・」(p101~p106)
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