和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

古典の音読。

2006-12-26 | Weblog
古典の音読。ということで三人の見識。

司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文春文庫)の「学生時代の私の読書」。
田辺聖子著「古典の文箱」(世界文化社)の中の「古典と私・わが師の恩」。
「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」(岩波書店)の第三章「伝統について考える」。

司馬遼太郎さんの言葉は、

「やがて、学業途中で、兵営に入らざるをえませんでした。にわかに死についての覚悟をつくらねばならないため、岩波文庫のなかの『歎異抄』を買って来て、音読しました。ついでながら、日本の古典や中国の古典は、黙読はいけません。音読すると、行間のひびきがつたわってきます。それに、自分の日本語の文章力をきたえる上でも、じつによい方法です。
『歎異抄』の行間のひびきに、信とは何かということを、黙示されたような思いがしました。むろん、信には至りませんでしたが、いざとなって狼狽することがないような自分をつくろうとする作業に、多少の役に立ったような気がしています。」(p39)


田辺聖子さんの言葉

「女学校の国語の時間が、これまた面白くもないものだった。やたら人生教訓的な文章ばかり載っていて、ここでも私は身を入れて勉強しなかった。二年生か三年生のころ、国語をⅠ先生に教わることになった。小柄だが動作のきびきびした、美貌で声の美しい先生、三十代に入っていられただろうか。きちんとした標準語、アクセントも関西のものではなかった。・・・ピッとからしのきいた授業ぶりで、私はいっぺんに、ねむけがふっとんでしまった。私はⅠ先生が好きになったから、国語が好きになったのである。古典の文法、などというものは見ただけでうんざり、というしろものだが、Ⅰ先生は、『耳になれるといいんです。耳からおぼえると、自然に身につきます』とおっしゃっていた。そして古典の暗記、というのを生徒に強いられた。『方丈記』の冒頭・・・『平家物語』の開巻冒頭に出てくる名文・・・などを暗誦させられた。それから『太平記』では、俊基朝臣(としもとあそん)の東(あずま)くだりの美しい文章・・・なども。
古典の名文は古来から人々に愛誦されてきただけあって、まことにリズムも詞(ことば)も美しく、若いみずみずしいあたまには、砂地に水のしみこむように入ってゆく。体で古典になじむ、という学習方法を、Ⅰ先生は考えていられたのかもしれない。耳で馴染み、声を出して口ずさむ古典は、いきいきと色彩を以ってもぶたに顕(た)ってくるのであった。決してひからびた古めかしい時代ものの骨董品ではないのであった。
もうひとつ、Ⅰ先生に教わったものに、短歌の朗詠がある。・・・・朗詠に向くうたと、向かないのがあり、いちばんぴったりしたのは啄木であった。・・・」(p289~290)

最後は、鼎談でのドナルド・キーンさんと瀬戸内寂聴さん。

【キーン】 ・・日本の高校生たちは、たしかに古典文学を部分的に読むんですけれども、それは文学の観賞のためではないんです。文法のためです。文語体を覚えるために、ここに係り結びがあるとか、そういうことを覚えるためです。しかし、多くの日本人は、いったん大学に無事に入ると、もう古典文学を読みません。私は、それなら、寂聴さんの現代語訳を読んだほうがはるかにいいと思います。そして、専門的に勉強したいと思ったら原文で読めばいいですね。さいごまで日本文学を読まない人は不幸だと思います。
【瀬戸内】 なんでもいいから訳を読んでくれて、面白いなあと思ったら、必ず原文を読みたくなるんですよ。
【キーン】 なります。
【瀬戸内】 そのために現代語訳があるんだと思います。決して、それで終らないの。『こんなに面白いんだったら、原文はどんなかしら?』と思ってほしいですね。そして、朗読すれば原文がわかるんですよ。あれは不思議ですね。 (p214~215)
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百年生きられる。

2006-12-26 | Weblog
百年。百歳。というのを思うのでした。

思い浮かぶのは、漱石が森田草平に宛てた手紙(1906年)に
「・・男子堂々たり。・・君が生涯はこれからである。功業は百歳の後に価値が定まる。百年の後誰かこの一事を以て君が煩とする者ぞ。君もし大業をなさばこの一事かえって君がために一光彩を反照し来らん。ただ眼前に汲々たるが故に進む能わず。かくの如きは博士にならざるを苦にし、教授にならざるを苦にすると一般なり。百年の後百の博士は土と化し千の教授も泥と変ずべし。余はわが文を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり。近所合壁と喧嘩をするは彼らを眼中に置かねばなり。彼らを眼中に置けばもっと慎んで評判をよくする事を工夫すべし。余はその位な事がわからぬ愚人にあらず。ただ一年二年もしくは十年二十年の評判や狂名や悪評は豪も厭わざるなり。如何となれば余は尤も光輝ある未来を想像しつつあればなり。彼らを眼中に置くほど小心者にはあらざるなり。彼らに余が示すほどの愚物にはあらざるなり。・・余は隣り近所の賞賛を求めず。天下の信仰を求む。天下の信仰を求めず。後世の崇拝を期す。この希望あるとき余は始めて余の偉大なるを感ず。君も余と同じ人なり。・・・」

まあ、ちょうど百年前に漱石は書簡で「功業は百歳の後に価値が定まる」と書いていたわけです。次に司馬遼太郎さんの「山片バン桃(やまがたばんとう)賞の十年」(「司馬遼太郎が考えたこと 15」新潮文庫)から引用。

この賞と司馬さんについては、谷沢永一さんがどこかに書いていたのですが(ちょいと今見当たりません)・・。この司馬さんの文は、その賞での講演のようです。
その講演で司馬さんは語っているのです。

「・・ですから、賞をさしあげるのではなく、もらっていただくという賞であります。
そしてまったく計画的なくらいうまくゆきましたのは、第一回目がドナルド・キーン先生で、第十回目にサイデンスティッカー先生を得て、もうこれでこの賞はなくてもいい、と。まんなかはサンドウィッチのようでありますけれど、みなさんえらい先生方ばかりでいらっしゃいますが、第一回目のキーン先生と第十回目のサイデンスティッカー先生のようなかたはもう出ませんですね。これはたしかであって、時代がうむ巨人というものであります。あとのかたは狭い範囲の、そうでないともう学位はとれませんから、・・どちらかというと顕微鏡的な細かい目で研究してこられた。
ドナルド・キーン先生とサイデンスティッカー先生は百年後まで生きますけれども、このおふたりは百年のちにはもう出ませんですな。『百年生きられる』といういい方は、むかしありましたね、日本語で。」

ここで、キーンさんたちのことを「日本文学と日本文化、あるいは日本史そのものを正面からひきうけて、大きな視野で考察する」という言葉を、間接的につかって示しておりました。司馬遼太郎さんは、とにかくも百年後という眼差しがある。

今度、ドナルド・キーン:鶴見俊輔:瀬戸内寂聴の鼎談「同時代を生きて」(岩波書店・鼎談は2003年10月で終ってます)を読み直していたのです。すると鶴見さんと瀬戸内さんとが、キーンさんをとても尊敬なさっているのを感じられてくるのでした。そういう目でみると鼎談での鶴見さんの役割は、天の岩戸にお隠れになって日本史を勉強なさっておられるキーンさんを、どうにかして連れ出そうとしているアメノウズメのような役目を鼎談で買って出ているように思えるのでした。すると、瀬戸内さんは鶴見さんと二人しての掛け合い漫才。
この81歳の時の鼎談本は、最後に三人のあとがきが書かれておりました。
鶴見さんは「記録を読みかえして、私がおしゃべりだということを痛感した。」とはじめております。一方の瀬戸内さんは「かねがね、キーンさんの一見慎ましい態度の内部に秘められた、毅然とした剛毅な気性に感服している私は、心からキーンさんを尊敬しているし、その膨大な日本文学の業績のまばゆさには、圧倒されつづけている。・・・キーンさんの著作によって教えられたことの豊富さと貴重さを思えば、私にとっては文学の恩人である。」

鼎談の中でも、そのことに触れた個所があります。

鶴見さんは「私なんかは、本当に日本語に対する教養、日本文学に対する教養が薄手で、バラバラですから、キーンさんに対しては、本格の学問をやった人というふうに思うんですけれども、ほかの日本人は、そう思わないでしょう。日本語だったら、自分は知っていると思っていますからね。」(p69)
瀬戸内さんは「いや、とてもとても、キーンさんが書かれたもののようなことはできない。できなかったところをしてくださったから、もうびっくりしますよね。本当にすごいことです。当然、日本人がしなきゃならないこと。それをしてなかったんだもの。それが、本当によくわかるんですよ。私は、ずいぶんと得しましたよ。」(p69~70)


ちなみに瀬戸内さんの鼎談での最後の言葉は
「一番精力的によく喋ったのは鶴見さんですよ。百まで生きそう。キーンさんも百まで大丈夫。」というのでした。


ところで、先頃連載が終ったキーンさんの「私と20世紀のクロニクル」の最終回に
こんな言葉がありました。

「日本での生活に一つ不満があるとしたら、それは私の本を読んだことのある人も含めて多くの日本人が、私が日本語が読めるはずがないと思っていることである。・・・・東大のある教授などは、私が書いた『日本文学の歴史』を話題にして、『あなたが文学史で取り上げた作品は、翻訳で読んだのでしょうね』と言ったものだ。」

この「ある教授」の書評を読まされるのだけは、御免こうむりたいですね。
私は古本屋でキーンさんの『日本文学の歴史』の、せめても近世篇までを買って読んでみたくなりました。

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