限られた本棚に、入りきらない文庫本は、段ボール箱にしまいます。
文庫本の段ボール箱をきめてありますので、読みたくなると開けてみます。
買っただけで読んでいなかった文庫を、とりだすのも愉しみのひとつ。
まだ開封しない年代物のワインのように熟成されていたりするかと思えば、
日本酒のように古くなって茶色く変色しているような文庫本もあるわけです。
たまたま、今回は丸谷才一編「私の選んだ文庫ベスト3」(ハヤカワ文庫)を取り出して頁をめくっておりました。これは現在も毎日新聞の書評欄で継続中の連載物です(現在の連載題名は「この人・この3冊」)。最初から変わらず毎回和田誠さんの絵が楽しみで、文庫にもその絵が毎回載っております。それを見ているだけでも楽しめるようになっております。
パラパラと開いていたら
谷川俊太郎さんが三好達治氏の文庫本3冊を選んで文章を書いているのが目に入りました。谷川俊太郎は1931年生まれ。その谷川さんの最初の詩集「二十億光年の孤独」に「はるかな国から ――序にかへて」と題して三好達治が書いておりました。
「 この若者は
意外に遠くからやつてきた
してその遠いどこやらから
彼は昨日発つてきた
・・・・
・・・・
1951年
穴ぼこだらけの東京に
若者らしく哀切に
悲哀に於て快活に
・・・・
ああこの若者は
冬のさなかに永らく待たれたものとして
突忽とはるかな国からやつてきた 」
その「待たれたものとして」やってきた谷川さんは、
いったい三好さんをどう思っていたのか。その感触がわかる文なのでした。
谷川さんが選ぶ、三好達治の文庫3冊は
① 三好達治詩集(岩波)
② 詩を読む人のために(岩波)
③ 諷詠十二月(新潮)
そこに添えた谷川さんの文はというと
「三好さんは私が世に出るきっかけを与えて下さった方だし、仲人をしていただいたこともある。・・私は不肖の弟子だった。・・若いころはそんなに詩にのめりこんでもいなかったから、もったいないことをしたと思う・・・現代詩はヘボ筋に迷い込んだという三好さんの有名な発言を私もじかに聞いた記憶があるが、それも後になって思い当たるので、当時は蛙のつらに水だった。」
そして、谷川さんはこう書いておりました。
「三好さんの詩や文章をいま読み返すと、私もずいぶん遠くへ来てしまったものだなあという感慨にまず襲われる。だがこれは三好さんがもう古くなってしまった、あるいは三好さんが『詩を読む人のために』で示された課題がいまではもう成立しないというようなことではない。出口の分からないヘボ筋の迷路を長年さまよっていたら、なんのことはない、元の入り口の近くへ来ていたのに気づいた、そのなふうにも言いたい気持ちだ。他の詩人たちは知らないが、私などは『諷詠十二月』中の『結局して詩歌の趣味風味といふのも、それが人生と相亙る分量の多寡にかかつてゐる。またその品質の上下にかかつていゐる。』というような箇所が目にとまると、あらためてぎくりとする。また文庫には選ばれていないが、私の好きな詩『空のなぎさ』を読むと、たとえばバッハの音楽の一節を聴くような心地がする。・・・・」
ところで、今年の新書に山村修著「狐が選んだ入門書」(ちくま新書)がありました。
そこには萩原朔太郎選評『恋愛名歌集』とともに三好達治の『詩を読む人のために』が取り上げられておりました。
ついでに谷沢永一・渡部昇一著「人生後半に読むべき本」(PHP研究所)も引用しておきましょう。
渡部氏が語っています。
「・・・万葉集をみんな読むとか、古今集をみんな読むとか、そういうことをする必要があるかといえば、私は懐疑的です。何といっても大変ですからね(笑)。そういうことをしなくても、萩原朔太郎の『恋愛名歌集』でいいんです。そうするとあれは、注も面倒臭くないけれども、スッと読んでわかるのがほとんど全部ですから。・・・・」
これに答えて、谷沢氏が
「ええ、その通り。つまり、全巻の全部の注釈を隅から隅までなどというのは専門の学者のやることであって、一般読書人は一番の早道、近道を通ったらいいと思う。
萩原朔太郎の『恋愛名歌集』の他にも、たとえば三好達治の『諷詠十二月』とかいろいろあります。これらはもう文庫にもないかもしれませんが、今はインターネットの古書店で探せます。とにかく、何でもいいんです。ご縁があったらよろしい。縁談と一緒で、自分にとっていいご縁であればいいのであって、相手がミス日本であるかどうかということは関係ない(笑)。」(p143~144)
それでは、段ボール箱に眠っていた文庫のご縁が、ここから次は、どこまでひろがるのか?
たいていは、ここまでなのです。私の場合。
とりあえず、谷川さんが「私の好きな詩」としてあげていた「空のなぎさ」の
最初の2行と最後の3行とを引用しておきます。
いづこよ遠く来りし旅人は
冬枯れし梢のもとにいこひたり
・・・・・
・・・・・
路のくま樹下石上に昼の風歩みとどまり
旅人なればおのづから組みし小指にまつはりぬ
かくありて今日のゆくてをささんとす小指のすゑに
文庫本の段ボール箱をきめてありますので、読みたくなると開けてみます。
買っただけで読んでいなかった文庫を、とりだすのも愉しみのひとつ。
まだ開封しない年代物のワインのように熟成されていたりするかと思えば、
日本酒のように古くなって茶色く変色しているような文庫本もあるわけです。
たまたま、今回は丸谷才一編「私の選んだ文庫ベスト3」(ハヤカワ文庫)を取り出して頁をめくっておりました。これは現在も毎日新聞の書評欄で継続中の連載物です(現在の連載題名は「この人・この3冊」)。最初から変わらず毎回和田誠さんの絵が楽しみで、文庫にもその絵が毎回載っております。それを見ているだけでも楽しめるようになっております。
パラパラと開いていたら
谷川俊太郎さんが三好達治氏の文庫本3冊を選んで文章を書いているのが目に入りました。谷川俊太郎は1931年生まれ。その谷川さんの最初の詩集「二十億光年の孤独」に「はるかな国から ――序にかへて」と題して三好達治が書いておりました。
「 この若者は
意外に遠くからやつてきた
してその遠いどこやらから
彼は昨日発つてきた
・・・・
・・・・
1951年
穴ぼこだらけの東京に
若者らしく哀切に
悲哀に於て快活に
・・・・
ああこの若者は
冬のさなかに永らく待たれたものとして
突忽とはるかな国からやつてきた 」
その「待たれたものとして」やってきた谷川さんは、
いったい三好さんをどう思っていたのか。その感触がわかる文なのでした。
谷川さんが選ぶ、三好達治の文庫3冊は
① 三好達治詩集(岩波)
② 詩を読む人のために(岩波)
③ 諷詠十二月(新潮)
そこに添えた谷川さんの文はというと
「三好さんは私が世に出るきっかけを与えて下さった方だし、仲人をしていただいたこともある。・・私は不肖の弟子だった。・・若いころはそんなに詩にのめりこんでもいなかったから、もったいないことをしたと思う・・・現代詩はヘボ筋に迷い込んだという三好さんの有名な発言を私もじかに聞いた記憶があるが、それも後になって思い当たるので、当時は蛙のつらに水だった。」
そして、谷川さんはこう書いておりました。
「三好さんの詩や文章をいま読み返すと、私もずいぶん遠くへ来てしまったものだなあという感慨にまず襲われる。だがこれは三好さんがもう古くなってしまった、あるいは三好さんが『詩を読む人のために』で示された課題がいまではもう成立しないというようなことではない。出口の分からないヘボ筋の迷路を長年さまよっていたら、なんのことはない、元の入り口の近くへ来ていたのに気づいた、そのなふうにも言いたい気持ちだ。他の詩人たちは知らないが、私などは『諷詠十二月』中の『結局して詩歌の趣味風味といふのも、それが人生と相亙る分量の多寡にかかつてゐる。またその品質の上下にかかつていゐる。』というような箇所が目にとまると、あらためてぎくりとする。また文庫には選ばれていないが、私の好きな詩『空のなぎさ』を読むと、たとえばバッハの音楽の一節を聴くような心地がする。・・・・」
ところで、今年の新書に山村修著「狐が選んだ入門書」(ちくま新書)がありました。
そこには萩原朔太郎選評『恋愛名歌集』とともに三好達治の『詩を読む人のために』が取り上げられておりました。
ついでに谷沢永一・渡部昇一著「人生後半に読むべき本」(PHP研究所)も引用しておきましょう。
渡部氏が語っています。
「・・・万葉集をみんな読むとか、古今集をみんな読むとか、そういうことをする必要があるかといえば、私は懐疑的です。何といっても大変ですからね(笑)。そういうことをしなくても、萩原朔太郎の『恋愛名歌集』でいいんです。そうするとあれは、注も面倒臭くないけれども、スッと読んでわかるのがほとんど全部ですから。・・・・」
これに答えて、谷沢氏が
「ええ、その通り。つまり、全巻の全部の注釈を隅から隅までなどというのは専門の学者のやることであって、一般読書人は一番の早道、近道を通ったらいいと思う。
萩原朔太郎の『恋愛名歌集』の他にも、たとえば三好達治の『諷詠十二月』とかいろいろあります。これらはもう文庫にもないかもしれませんが、今はインターネットの古書店で探せます。とにかく、何でもいいんです。ご縁があったらよろしい。縁談と一緒で、自分にとっていいご縁であればいいのであって、相手がミス日本であるかどうかということは関係ない(笑)。」(p143~144)
それでは、段ボール箱に眠っていた文庫のご縁が、ここから次は、どこまでひろがるのか?
たいていは、ここまでなのです。私の場合。
とりあえず、谷川さんが「私の好きな詩」としてあげていた「空のなぎさ」の
最初の2行と最後の3行とを引用しておきます。
いづこよ遠く来りし旅人は
冬枯れし梢のもとにいこひたり
・・・・・
・・・・・
路のくま樹下石上に昼の風歩みとどまり
旅人なればおのづから組みし小指にまつはりぬ
かくありて今日のゆくてをささんとす小指のすゑに