朝日新聞2007年1月1日に田辺聖子・綿矢りさ対談が載っておりました。
そこで
【田辺】どうやって本を手にとるかと言うたら、新聞の書評、これはよく見ますよ。
書評を読みたいから、以前は5紙とっていた。いまは時間がなくて、2紙に減らしましたけど。本の広告もじっくり読む。これは気合が入ってるな、とか。それで本屋さんにまとめて注文しますね。
【綿矢】私は自分が本を書くようになって書評が出てることを教えてもらうまで、書評というものを知らなかったんです。
【田辺】そうなの?
【綿矢】書評というジャンルも、評論家という人の存在も知らなかった。
書評で本を手に取るということは今までの生活ではまずなかったし、同じ年代の人も、特に意識はしてないと思う。
【田辺】学生さんや普通の人はそうかもしれませんね。むしろ、気になるのは噂?
うんうん。大阪の新聞の書評というのは、ちょいと関東と違って独特だと、私は思っておりました。
谷沢永一さんはじめ濃い方々がいらっしゃるから。そんな空気を吸っていたんだろうなあ。などと思うのでした。もうすこし対談を引用します。
【綿矢】一人暮らしの部屋でひとりこもってずっと書いてて、ちょっとガタが来てるていうか、寂しいですね、やっぱり。・・・・
人と話せば空気が変わったりとか気がまぎれるんですけど、一人でやっていくのは限界があるかなと最近思うようになって。一人暮らしは本が読めていい、と思ってたのに、一人でいすぎると、本も読めなくなってくる。
【田辺】お酒は飲む?
【綿矢】飲みません。
さて、対談からの引用はこのくらいにして。
新聞の書評は、日曜日に掲載されているので、私は日曜日はいそいそとコンビニへと新聞を買いにでかけます。まるで宝探しですね。新聞を開いてみて、魅力の書評に出会ったときのうれしさ。本は買わなくっても、その本の勘所を、手品のように取り出してくる見事な書評にお目にかかれれば一日満足。
ところで、新聞も本についての記事が気になります。
そういうわけで、本にまつわる気になる記事。
読売新聞夕刊1月13日「閉鎖相次ぐ『メトロ文庫』」。
「東京メトロの地下鉄駅構内で、本を駅利用者に貸し出す『メトロ文庫』の閉鎖が相次いでいる。1999年には27駅に29か所あったが、現在、14駅で15か所と半減した。貸し出された本の多くが返却されないうえ、最近ではごみ箱代わりに古雑誌などを置いていく悪質な行為も目立つためだ。・・・」
「一人で何冊でも借りられ、返却期限も定めていない。『読み終わったら返す』というのが唯一のルールだ。しかし、実際には、返却率は平均5~10%にとどまる。・・さらにここ数年、寄贈者側が利用者の『マナー違反』にしらけてしまったのか、寄贈される本の数も減っている。存続中の文庫でも、本棚には数冊程度しかない所が多い。最近では、本棚に古雑誌や紙くずが捨てられたり、ぼろぼろの古雑誌が着払いで郵送されたりして、職員の負担にもなっていた。丸ノ内線池袋駅の文庫は91年に開設した当初、住民から毎週のように段ボール箱いっぱいの寄贈があり、約50冊収容の棚に収まり切らないほどだった。しかし、ここ数年は、寄贈本は週10冊ほどに減少。その上、『本を置いても、すぐになくなってしまう』(同駅職員)ため、蔵書ゼロのことも多く、本棚には毎日のように紙くずなどが捨てられている。・・・」
それでは、寄贈本はなくなったのか?
面白いのは、次の日1月14日(日曜日)の新聞でした。
毎日新聞の一面に写真入りで「もったいない図書館誕生」とあります。
こちらも引用しましょう。
「不要な本を全国から寄贈され、福島県矢祭町の『矢祭もったいない図書館』が14日、オープンする。昨年7月の寄贈呼び掛けから今月10日までに、延べ3910の個人や団体から、約29万冊もの図書が集まった。・・・図書館新設には10億円かかるといわれる中、旧武道館改装と閉架書庫建設で費用は約3億円だった。・・」
産経新聞の同日の記事にも、その詳細が載っておりました。
さらに東京新聞の同日では、出久根達郎さんへのインタビュー記事が印象に残ります。
出久根さんは1959年に茨城の中学を出て東京・月島の古書店に就職しております。後藤喜一という署名によるインタビュー記事で出久根さんはこう答えております。
「古本屋のおやじには文学青年くずれが多いし、本の好きな人が周りに大勢いて、仕事として毎日本を読むことができたのは幸運でした。お客さんからも本の世界の奥深さを教えられました。最も感動したのは、就職した店の主人に、夜間高校へ行かせてほしいと頼んだときのこと。主人は、学校なんか行く必要はない、ここにある本がみんな学校なんだ、本の数だけ教師がいるんだと言うのです。本当にその通りで、こんなありがたい境遇はないと思いましたね」
そういえば、出久根達郎著「今読めない読みたい本」ポプラ社に
こんな箇所がありました。
「若い人がなじめないのは、早い話、読み方がわからないからだと思う。
本の読み方を、まじめに教えてくれる人がいない。読まない、と言って非難はするが、読めるように講じてくれない。本を差し出しただけでは、教えたことにはならぬ。・・・私などは人生で最も大事なこと、と考えるが、古本屋だからだろう、と言われれば、それまでである。古本屋だから聞けた、本好きの客の話を紹介する。若いかたがたへの読書アドヴァイス。本を読むのに、友人はいらない、という人がいるけれど、若いうちは友人があった方がいい。選ぶべきは、本好きの友人である。・・・」(p174)
そうだ。与謝野鉄幹でしたっけ。「 友を選ばば 書を読みて 」と歌ったのは。
そこで
【田辺】どうやって本を手にとるかと言うたら、新聞の書評、これはよく見ますよ。
書評を読みたいから、以前は5紙とっていた。いまは時間がなくて、2紙に減らしましたけど。本の広告もじっくり読む。これは気合が入ってるな、とか。それで本屋さんにまとめて注文しますね。
【綿矢】私は自分が本を書くようになって書評が出てることを教えてもらうまで、書評というものを知らなかったんです。
【田辺】そうなの?
【綿矢】書評というジャンルも、評論家という人の存在も知らなかった。
書評で本を手に取るということは今までの生活ではまずなかったし、同じ年代の人も、特に意識はしてないと思う。
【田辺】学生さんや普通の人はそうかもしれませんね。むしろ、気になるのは噂?
うんうん。大阪の新聞の書評というのは、ちょいと関東と違って独特だと、私は思っておりました。
谷沢永一さんはじめ濃い方々がいらっしゃるから。そんな空気を吸っていたんだろうなあ。などと思うのでした。もうすこし対談を引用します。
【綿矢】一人暮らしの部屋でひとりこもってずっと書いてて、ちょっとガタが来てるていうか、寂しいですね、やっぱり。・・・・
人と話せば空気が変わったりとか気がまぎれるんですけど、一人でやっていくのは限界があるかなと最近思うようになって。一人暮らしは本が読めていい、と思ってたのに、一人でいすぎると、本も読めなくなってくる。
【田辺】お酒は飲む?
【綿矢】飲みません。
さて、対談からの引用はこのくらいにして。
新聞の書評は、日曜日に掲載されているので、私は日曜日はいそいそとコンビニへと新聞を買いにでかけます。まるで宝探しですね。新聞を開いてみて、魅力の書評に出会ったときのうれしさ。本は買わなくっても、その本の勘所を、手品のように取り出してくる見事な書評にお目にかかれれば一日満足。
ところで、新聞も本についての記事が気になります。
そういうわけで、本にまつわる気になる記事。
読売新聞夕刊1月13日「閉鎖相次ぐ『メトロ文庫』」。
「東京メトロの地下鉄駅構内で、本を駅利用者に貸し出す『メトロ文庫』の閉鎖が相次いでいる。1999年には27駅に29か所あったが、現在、14駅で15か所と半減した。貸し出された本の多くが返却されないうえ、最近ではごみ箱代わりに古雑誌などを置いていく悪質な行為も目立つためだ。・・・」
「一人で何冊でも借りられ、返却期限も定めていない。『読み終わったら返す』というのが唯一のルールだ。しかし、実際には、返却率は平均5~10%にとどまる。・・さらにここ数年、寄贈者側が利用者の『マナー違反』にしらけてしまったのか、寄贈される本の数も減っている。存続中の文庫でも、本棚には数冊程度しかない所が多い。最近では、本棚に古雑誌や紙くずが捨てられたり、ぼろぼろの古雑誌が着払いで郵送されたりして、職員の負担にもなっていた。丸ノ内線池袋駅の文庫は91年に開設した当初、住民から毎週のように段ボール箱いっぱいの寄贈があり、約50冊収容の棚に収まり切らないほどだった。しかし、ここ数年は、寄贈本は週10冊ほどに減少。その上、『本を置いても、すぐになくなってしまう』(同駅職員)ため、蔵書ゼロのことも多く、本棚には毎日のように紙くずなどが捨てられている。・・・」
それでは、寄贈本はなくなったのか?
面白いのは、次の日1月14日(日曜日)の新聞でした。
毎日新聞の一面に写真入りで「もったいない図書館誕生」とあります。
こちらも引用しましょう。
「不要な本を全国から寄贈され、福島県矢祭町の『矢祭もったいない図書館』が14日、オープンする。昨年7月の寄贈呼び掛けから今月10日までに、延べ3910の個人や団体から、約29万冊もの図書が集まった。・・・図書館新設には10億円かかるといわれる中、旧武道館改装と閉架書庫建設で費用は約3億円だった。・・」
産経新聞の同日の記事にも、その詳細が載っておりました。
さらに東京新聞の同日では、出久根達郎さんへのインタビュー記事が印象に残ります。
出久根さんは1959年に茨城の中学を出て東京・月島の古書店に就職しております。後藤喜一という署名によるインタビュー記事で出久根さんはこう答えております。
「古本屋のおやじには文学青年くずれが多いし、本の好きな人が周りに大勢いて、仕事として毎日本を読むことができたのは幸運でした。お客さんからも本の世界の奥深さを教えられました。最も感動したのは、就職した店の主人に、夜間高校へ行かせてほしいと頼んだときのこと。主人は、学校なんか行く必要はない、ここにある本がみんな学校なんだ、本の数だけ教師がいるんだと言うのです。本当にその通りで、こんなありがたい境遇はないと思いましたね」
そういえば、出久根達郎著「今読めない読みたい本」ポプラ社に
こんな箇所がありました。
「若い人がなじめないのは、早い話、読み方がわからないからだと思う。
本の読み方を、まじめに教えてくれる人がいない。読まない、と言って非難はするが、読めるように講じてくれない。本を差し出しただけでは、教えたことにはならぬ。・・・私などは人生で最も大事なこと、と考えるが、古本屋だからだろう、と言われれば、それまでである。古本屋だから聞けた、本好きの客の話を紹介する。若いかたがたへの読書アドヴァイス。本を読むのに、友人はいらない、という人がいるけれど、若いうちは友人があった方がいい。選ぶべきは、本好きの友人である。・・・」(p174)
そうだ。与謝野鉄幹でしたっけ。「 友を選ばば 書を読みて 」と歌ったのは。