和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なんという字ぃ?

2007-01-28 | Weblog
四コマ漫画の「コボちゃん」(読売新聞2007年1月27日)が楽しかった。

1コマ目は、コボちゃんが絵本桃太郎を、声出して読んでいるところ。
2コマ目は、おばあちゃんが「大きな声で元気に読めるわねー」と声をかけ
     コボちゃんが嬉しそうに「そう?」と答えています。
3コマ目は、コタツで本を読むおじいちゃんの脇を、コボが通りかかります。
4コマ目は、コボちゃんが、おじいちゃんの肩に手をやり「元気ないねー」と、
     すると、おじいちゃんは「黙読っていうの!!」。

思わず笑ってしまいました。
うん、ここからなら楽しんで、お話がつながるような気がします。
司馬遼太郎の対談集「東と西」(朝日新聞社)の中に、
「中世歌謡の世界」と題して大岡信氏と対談しております。
そこでの大岡氏の言葉に、こんなのがありました。

「音といえば、室町になると音で聴くという文化が非常に盛んになってくる。それが、新しい文化の誕生であるという面があって、人々が連歌を好んだのは、一つにはそれがあると思うんです。連歌を盛んにさせた一つの原因は、大勢の人が集まって一ヵ所で楽しむということでしょう。出身階級もいろんな連中がワイワイ寄り集まって、酒を飲んだりしながら、だれかが一句つくると、ワアッと詠み上げるわけですね。詠み上げられたのを、その次の順番の人は耳で聴いて、サッとそれにつけるということをやる。
したがって文化の質の、それ以前の文字を重視した時代から、ちょっと違ってきてるんじゃないかと思うんです。・・・」(p220)

「耳で聴いて」といえば、いま発売中の「WILL」2007年3月号には、写真特集「戦後史この一枚・番外編」「スター全員集合」というのがあります。え~。これが若い頃の浅丘ルリ子なの。というような顔ぶれの写真が並んでいます。
そのなかにミヤコ蝶々を先頭に8人の顔ぶれが並ぶ写真がありました。
その最後に居るのが南都雄二。
ミヤコ蝶々は学校へは行っていなかったので、漢字が読めませんでした。
それでコンビの相方に、台本を見せて「これ、なんという字ぃ?」と聞いていたことから、相方の芸名が南都雄二となった。その有名なエピソードを思い浮べたわけです。

鶴見俊輔がお喋りして話題を引き出してゆく鼎談「同時代を生きて」(岩波書店)の中の「Ⅲ・伝統について考える」では、終わりの方で
ドナルド・キーンさんがこう尋ねるところがあります。
「変なことをうかがいますけれど、彼は文字を書けますか。」(p225)
それは文楽について語っている時でした。
「私は、前に桐竹紋十郎さんに会いましたが、彼はまったく読めませんでした。」
鶴見さんが、それを受けて、
「六代目(尾上)菊五郎は文字を書けなかったし、読めなかった。乾孝との対談で、ふっと言ったんだ。『私のことを、字が読めない、字が読めないっていいますが、かなぐらい読めますよ』って。で私と一緒に聞きに行ったのが乾孝なんだけど、びっくりしたんですよ。戦後、そういう人が日本にいると思わなかったんだ。だけど、それが菊五郎の強みなんですよ。」
引き継いで、瀬戸内寂聴さんは
「女優さんでも、読めない人がいまもいっぱいいますよ。小さいときから、お父さんと一緒にどさ回りしていて学校へ行っていないんですね。そんなのは、ずいぶんいます。」
この話は、もう少し続くのですが、
それよりも、この鼎談で面白かったのは、
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと日にちを変えて鼎談がもたれたらしいのですが、
その三回とも鶴見さんがキーンさんの本「声の残り――私の文壇交遊録」(朝日新聞社)を褒めているのでした。一回目は「素晴らしい本ですね」(p56)
二回目は「どう考えても傑作なんですね」(p84)として具体的な指摘をしております。
そして三回目は、最初から鶴見さん主導で話が始まっているのでした。そこでも「私がもっとも心を動かされたのは、『声の残り』と・・」と、最初の方でキーンさんに語りかけております。ここで、キーンさんが重い口を動かし始めたような按配で18歳の時にアーサー・ウェイリー訳の「源氏物語」を読んだことを語ります。「それ以来、私は、日本の伝統文学を読むと、いつも『人の声』を聴くようにしてきました。歌を読んでも、物語を読んでも、私に呼びかけている人の声にいつも耳を立てて聴こうとしています。・・・そして、その意味で、私にとって伝統は、死んだものではなく、いつまでも生きているものです。・・・私に話しかけてくる文学をいつも探しています。」(p156~157)

なんでもないような言葉なのですが、
たとえば、大岡信さんは、ある詩集のあとがきに代えてで「呼びかける詩」というモチーフを語っていました。

 詩といふものは
 どんなものでもありうる。
 けれどもそれは、
 結局のところ何ものかへの
 心潜めた呼びかけでなければ、
 詩である必要もない
 のではなからうか。


これなど、キーンさんと隔たりながら共鳴しているような言葉です。
ところで、私は先を急ぎすぎた気がします。
とにかく、時間内に解答を出そうとしているような雰囲気。
それでは、もう一度最初の読売新聞にもどってみます。
ちょうど、読者投稿欄「気流」の脇に漫才の内海桂子さんが連載をしております。

そのコーナーは「時代の証言者」。コボちゃんの、その四コマの1月27日には、15回目で、ちょうど相棒の内海好江さんが登場する回でした。内海好江さんといえば、私は山本夏彦の言葉を思い浮べます。たとえば、山本夏彦著「完本文語文」(文藝春秋)には「耳で聞いて分る言葉」という題の文があり、このようにはじまっております。

「耳で聞いて分る言葉が本当の言葉で、字からおぼえた言葉は二の次だと、誰に教えられるでもなく私は子供の時から思っていた。洋の東西を問わず文字のない時代が何万年とあって、文字のできた時代は、二、三千年にすぎない。稗田阿礼意(ひえだのあれ)の名は小学生でも知っている。語部(かたりべ)が代々伝えた過去は間違いが多いと思いがちだがそんなことはない。文字がない時代は暗誦の時代で、それはほぼ正確だった。いまでも講談落語は全部口うつしで、文字では教えない。講談の『真書太閤記』のごときは速記本を見ると千枚前後である。これを全部おぼえて間違いがないところを見ると、目に文字のない時代の人間の暗記力は現代人の想像を絶する。知識人が最も早くそれを失った。大正年間である。私は大正に生れ昭和に育ったが、すでに暗誦の時代は去っていた。・・・」

さて、内海好江さんでした。
山本夏彦著「愚図の大いそがし」(文藝春秋)には、「たれんと内海好江」と題した文が掲載されております。そこから引用して、終わりにします。

「彼女の言葉はすべて耳からおぼえた言葉で、文字からおぼえたものではない。あってもそれは外来語に似たものとして用いられている。彼女は戦争中六つのときから舞台に出ている。・・・戦前の芸人は多く目に文字がない。したがって楽屋で話す言葉は明治大正の、いや江戸時代にさかのぼる言葉である。彼女は今は滅びた言葉を知る最後のひとの一人である。それは彼女の宝である。たった一度会っただけで、こんなにほめるのはほめすぎのようだがそうでない。勘である。漫才としての彼女を知る人はかえってこういう見方ができないのではないか。・・・」

コボちゃんから、山本夏彦まで、つながりは何かと問われれば。
それは、勘ということで。





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