和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

明治だ。

2008-08-04 | Weblog
齋藤孝・梅田望夫著「私塾のすすめ」(ちくま新書)の対談のはじまりは、梅田氏からでした「『日本を教育した人々』の『はじめに』で齋藤さんは、みんなが不安になって方向を見失っている今、日本人が基本としてどこに立ち戻るのか、それは『源氏物語でもないし、大化の改新でもなくて、明治だ』ということをお書きになっていますね。僕も、ちょうど同じときに『ウェブ時代をゆく』を出したのですが、この本を書いていくうちに、期せずして、明治という時代の骨格を作った『自助』の精神を再建しないといけないな、というところに行き着きました。・・」

え~と。対談の最初に紹介されていた本。齋藤孝著「日本を教育した人々」(ちくま新書)が気になるので読んでみました。ここには4人が取り上げられておりました。吉田松陰・福沢諭吉・夏目漱石・司馬遼太郎。夏休みに小学校の図書館にある偉人伝の大人版といった感じで簡単に読めます。さらりとした紹介ですが、4人の人選に意味がある。といった感じです。

気になったのはたとえば、こんな福沢諭吉を語るこんな箇所
「翻訳についても、それまでは漢学者のように文体を整えることが求められていたが、『自分は緒方洪庵の教えを忘れずに終始平易であることに努めた』ことが指摘されている。」

たしか司馬遼太郎は、ある手紙で教育者の第一を緒方洪庵としていたと思いだしました。でも、こうした平易な語り口で緒方洪庵を取り上げるは難しいから、福沢諭吉の箇所で、ちょっと触れて置くぐらいになっちゃうのかもしれないなあ。と思って読みました。

その同じ福沢諭吉を語っているところで齋藤さんはこう指摘しております。
「学問がこれほど馬鹿にされている状況のなかで、日本は危機に陥っていると私は思う。なぜなら日本は、向上心や向学心を中心にして国をつくってきたからだ。読書をするのは尊敬されることであり、みんながやりたいことだった。・・・・しかしいつの時代からか、リーダーに学問は必ずしも必要ではなくなってしまった。それは日本人が直面する大きな不幸である。なぜなら学問をおさめようとする向学心は、幸福につながるからである。人間は、ひとつでも多く知識を得たい、あるいは一歩でも先に進みたいという気持ちになっているときは、気持ちが盛り上がっているので幸福感を得やすい。一番楽しいときとは、何かをやり遂げてしまったときではなく、『これからたくさん学べるんだ』と思うときだ。その興奮状態がずっと続くような人は、一生幸せに過ごせるものである。・・向学心を『技化(わざか)』していたところが、日本人が幸せでいられた秘密だったわけである。・・・『学問を活用し、それを支えとして生きていくのだ』ということを、それぞれが身をもって示してきた。近代日本においては、向学心という集団的な心性が、社会が乱れないための一つの装置になっていた。」(p100~)
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