和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

原田種成。

2008-08-17 | 地震
谷沢永一・渡部昇一著「『貞観政要』に学ぶ 上に立つ者の心得」(到知出版社)を読んでから、貞観政要を買ったのですが、そのまま(笑)。いまは原田種成著「漢文のすすめ」(新潮選書・古本)を読んでいるところ。そこに「『貞観政要』の研究」について書かれた箇所があるのでした。興味深いのは諸橋『大漢和辞典』編纂秘話。そして半生記では「関東大震災の日」。「勤労動員日記抄」と読み甲斐があります。淡々とご自身が書き残しておいてくれた「プロジェクトX」という感じです。

ここでは、「大震災のあと」を少し引用しておきます。

「ひとまず上野の山を後にして、・・・一週間ほどして鉄道が開通したので土浦市の郊外、新治郡栄村字吉瀬の父の長姉の家へ移った。姉の息子の保さんが叔父の身を案じて、徒歩で東京の我が家の焼け跡に行って来たという。保さんは私の従兄に当たるわけだが、伯母は父より13歳も年長であったから保さんは叔父さんのような感じであった。・・私は父の従兄である大村の豊かな農家にあずけられた。13歳であった私は、具体的にどんな扱いをされたのかよく覚えていないが、焼け出され(震災に遭った者を当時こうよんでいた)の私に対してなにか温か味に欠けていたらしかった。私が父に話したのかどうかはわからないが、次に、私は父の従弟の源さんという家へあずけられた。源さんは家は小さく、あまり豊かではなかったが心の温かい人だった。小母さんもいい人で、娘が近くの医院の看護婦をしていた。私はここに落ちつくことになった。源さんは私によく言った。『種成は土浦藩の士族の子だ。村の子に対して卑屈にならず堂々としていろ』と。焼け出されて、東京から逃げて来た私を励ましてくれていたのである。私は震災に遭ったおかげで、金持ちの心は冷たく、豊かでない人に心の温かい人がいることを知った。父の会社は震災の打撃で再建できなかった。・・・」(p31)

たんたんと書かれていながら、どれもが貴重な証言になっています。
いったいどれを引用しようか、迷う豊饒な内容となっております。
ということで、とりあえずここには地震を引用してみました。
コメント
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