和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本と地震。

2008-08-19 | 地震
雑誌「ノーサイド」1995年5月号は特集「読書名人伝」でした。
困ったことに一読圧倒され。それなら、ちょっと冷却期間を置こうと本棚へしまったのが運のつき。そのままに忘れておりました。昨日思い出して取り出すと、新しく読むような新鮮さ。隠し味に「大震災と読書人」という特集が組まれておりまして、まずは谷沢永一の「阪神大震災 わたしの書庫被災白書」が圧巻の4ページ。そして坪内祐三による「関東大震災は焚書だった」が1ページに大曲駒村著「東京灰燼記」(中公文庫)からはじまって内田魯庵の「典籍の廃墟」や柳田泉の自伝「明治文学研究夜話」をとりあげておりました。そして山口昌男・池内紀の対談にも坪内祐三が話の輪に入っていて、たとえば坪内氏はこう語っております。「・・博文館にしても、春陽堂にしても、実業之日本社にしても、震災までの出版社というのはかなり面白い雑学的なものを出していたんですけどね。」(p24)
ここから、読書名人伝ということで、読書家がズラリと写真入で並びます。そこにはいっている岡本綺堂は、坪内氏が書いておりました。そこからも少し引用してみましょう。震災で蔵書一切を焼き失った綺堂。「この恨みは綿々として尽きない」という昭和8年の文を引用したあとに、「しかし蔵書を失ったからといって、綺堂は、放心状態になることはなかった。震災に遭ってからの日記は『岡本綺堂日記』として公刊されているが、そこで見られる綺堂の本の買いっぷりがすごい。例えばその年の12月16日、快晴の日。まず電車を乗り継いで目白に出て、『女子大学前の前田といふ本屋に立寄る。ここに東陽堂出版の【東京名所図会】のあることを額田から聴いてゐる・・・ほかに古本六冊をかひ』、次に『音羽の古本屋で又もや三冊の古本をかひ』、伝通院の友人を訪ねたあと、『更に神田へ出て神保町辺を散歩。バラック建がやうやく整つたが、とても昔のおもかげは見られない。ひどく寂しい心持になる。ここでも古本四五冊をかひ』、帰宅する。しかもこの前日や翌日も、四谷や古河橋、六本木の古本屋で、それぞれ数冊ずつ本を買っているのである。」

ちょっと、私はこれだけでまたもや満腹感。それでは、と本棚へとしまうことになるのでした。
コメント
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