和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

とんでもない漫画家。

2008-08-29 | Weblog
朝日の古新聞をもらってきました。
2008年8月5日の文化欄に、鶴見俊輔氏が「赤塚不二夫さんを悼む」として、「生命力の無法な羽ばたき」を書いておりました。
そういえば、鶴見俊輔氏は以前に赤塚不二夫を取り上げていたかなあ。
と思ったわけです。
ちなみに、鶴見俊輔集7「漫画の読者として」(筑摩書房)の目次を確認したのですが、赤塚不二夫の名前はありません。気になるから鶴見さんの著作「書評10年」「回想の人びと」「らんだむ・りいだあ」の目次を見てもナシ。鶴見俊輔書評集成にも見あたりません。ということは、亡くなられて、堰(せき)を切ったように、ほとばしり出た感慨を書きとめているのかもしれないと、そう思ったりするのでした。

ということで、朝日新聞の鶴見さんの追悼文を、紹介しておくのも無駄ではないでしょう。

はじまりは「一代の奇才、赤塚不二夫の逝去を惜しむ。赤塚不二夫を見るようになってから四十年あまり、まだその影響の渦の中にいる。」
おわりは「敗戦後の日本を代表する、とんでもないマンガ家だった。」

これだけじゃいけないかなあ。もうすこし引用しておきましょう。

「中国大陸の東北部、旧満州に育ったこどもが、せまくるしい日本に引き揚げてきて、理由のわからないせまくるしさに悲鳴をあげて、自分を息苦しくしている塀にわが身をぶつけている。そのあがきに、彼のマンガは根ざしている。根があるから、どんどん育ってやむことがない。赤塚不二夫は、それまでの日本のマンガに天窓をうがつ働きをした。」

もう一箇所。新聞の題名にも使われている言葉がつかわれているところ。

「馬が跳びはねる情景を『パカラン、パカラン、パカラン、パカラン』と三ページにわたって何十コマも描いて、読者を引きずりこむ、この作者の筆力は、ゼロ歳児にもどった生命力の裏づけによるものだ。その生命力の無法な羽ばたきが、今も私の耳にある。・・・」

四十年あまりの裏づけを語る鶴見節は、いまだ健在。
コメント
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